マーケティングによる疎外感

あなたは、じぶんのほしいものを知らない。だれかが作ったものを見て初めて「あ、これがほしかったんだ」となる。

では「だれかが作ったもの」の「だれか」とは、だれだろう。

だれかがひとりでは、つくられるものは限られる。つかえるお金も、そんなに多くはない。

なので、ほしいものの多くは、人があつまり、経費が多くつかえる会社で作られる。

しかし、ここで悩ましくなる。

会社でつくったものの多くは、たとえば「だれかを思って似合うようなセータをつくる」「好きな料理をつくってあげる」のような肌合いが感じられないんだね。愛も感じられない。

さらに言ってしまおう。

会社の多くはマーケテイングを参考に、ものをつくったり、サービスをおこなう。

マーケティングは「あれをああすれば、ああなる。こうすれば、こうなる」といった大衆操作である、と言えなくもない。

じゃ、そうではないモノつくりをしている会社があるのかと言うと、ありそうなんだね。それについては、後日書く(かもしれない)。

気づいたことを、お気軽に。
公開まで、やや時間がかかりまーす!