漱石の「文学論」

漱石はイギリスから帰国して「文学論」を書いたでしょう。

読んだというか、ページをめくったことがあるけれど、とても難解だったことを記憶している。

司馬さんの発言によると、漱石は、文学を微分や積分のようにとらえようとしていたというんだなぁ。

こういうことだとおもう。

プログラミングでもなんでも、いいや。英語のチュートリアルをやっていても、要はプログラムが動くことが仲介になっているので、けっこうやりやすい、というか、少なくとも小説を読むよりはクリアだとおもう。

「漱石、英国にて狂えり」というウワサが立ったり、鏡子婦人の随筆によると、帰国後の漱石はお手伝いさんをポカポカたたくようなナイーブな状態にあったらしい。

それは、漱石先生のことだから、日本語とはまったく系統の違う英語の文学に、真正面と向かったことに起因していると思うんだ。

そして、それではとらえきれないので、数式やグラフを使った「文学論」を書いた。

言葉に対して、一人ひとり違ったイデオロギーを持っている。

これは、わりと最近読んだ日本の若手の哲学者による書籍の中で見つけた言葉だ。

この言葉には救われましてねぇ、オレは。

文学の読み方などは、読む人によって党派性などがあったりして。これが正解ということはないんだ。

だから、たとえ英語の文学を読んでも内容というより、むしろ自分なりに味わってしまえば、いいわけよ。肩の力も抜けたりするよねぇ。

 

気づいたことを、お気軽に。
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