自身の言葉から推測してみよう。

漱石の「こころ」では、私(主人公)に送った先生の手紙が後半を占める。

その手紙は不可思議だ。そもそも、なぜ先生は私に長い手紙を書いたのか。

自分で考えてもアテがはずれる。漱石自身の言葉を探ってみよう。幸い、漱石の講演は筆記され残されている。

というわけで、「漱石傑作講演集」(ランダムハウス講談社)のページをめくってみた、

がしかし、目的の箇所を見つけることが出来なかった。

なので、記憶で書いてみよう(本書のどこかで書かれている)。

たとえば法に触れ、鎖につながれる。外形的には、この一行で記されるのだが、当人がその経路を記述し誰かに読まれれば、罪というのはないのではないか。

このことは、先生の、長い手紙の理由を知る糸口となる。

つまり、先生は、自分の死に至るまでの経路を記し、私に読まれることで、先生の死は、1、2行で書かれるような外形的でないことが知れる。

先生は、乃木希典の自死を正当化しているでしょう。

それを知るために、森鴎外の中編「大塩平八郎」、三島由紀夫のエッセイを読んだりもした(乃木、大塩、三島の各氏は陽明学をよく読んでいるという共通点がある。さすがに王陽明の著作まで読まんわ)

けれど、こういうアプローチは間違っていて(それは鴎外、三島の見方であって)、「こころ」の中で、先生が乃木希典についてどう思っていたのか推測するには、作者である漱石の乃木の記述を読む方が第一である。

長いが引用しておこう。

「乃木さんが死にましたろう。あの乃木さんの死というものは至誠より出たものである。けれども一部には悪い結果が出た。それを真似して死ぬ奴が大変出た。乃木さんの死んだ精神は分からんで、唯形式の死だけを真似する人が多いと思う。そういう奴が出たのは仮に悪いとしても、乃木さんは決して不成功ではない。結果には多少悪いところがあっても、乃木さんの行為は至誠であることはあなた方を感動せしめる。それは私には成功だと認められる。そういう意味での成功である。だからインデペンデントになるのは宜しいけれども、それには深い背景を持ったインデペンデントとならなければ成功できない。成功という意味はそういう意味でいっている」(『模倣と独立』/『漱石 傑作講演集』P249より抜粋)

気づいたことを、お気軽に。
公開まで、やや時間がかかりまーす!