「体の贈り物」

概要を知りたい情報もあるとおもう。

とりあえず英語で書かれた文章の概要を知りたいとおもう。

書籍なら翻訳者により日本語に訳されたり、

ネット上の短文なら自動翻訳を使えば、その概略として読むことができる。

オッケー、これはこれで割り切ってしまおう。その方がスッキリするから。

でも小説は違う。

翻訳者によるところが少なくないでしょう。

「体の贈り物」(レベッカ・ブラウン)を何度も読んでいる。

日本語訳は柴田元幸さん。

ふだん、話したり書いたりしているコトバだけれど、

これを機械学習からみると「自然言語」という言い方になる。

その際に、任意のコトバの前後の関わりは「コンテキスト」と呼ばれる。

「コンテキスト」の多さにより、任意のコトバの位置づけがなされていく。

普通にいえば、文脈ということになるだろうか。

レベッカ・ブラウンの小説は読みやすい。

それは、コンテキストがクッキリしているからだと推測している。

そう言うからには、「体の贈り物」は原文も読んでいる。

読んでみると、翻訳者の柴田さんは、物語の主人公の感じを出すために、

主人公の英語の発話に対してあえて、こういう日本語を選んだというところもある。

ところで、以上書いてきたことは本題ではなく、

この小説を「いったい自分はどう、とらえているだろう」ということについて、

YouTubeで語ってみようとおもう。

英語で読んだ限り、英語で話してみるわ。

ストーリィを読む

データは、おもしろくない。

それはストーリィとして読めないからだ。

もっとも、ストーリィとして読める人もいるだろう。

そういう人にとって、データはおもしろくて、しょうがないかもしれない。

ぼくのばあい、小説をときどき読む。

くり返し読む小説もある。

時間をおいて、読むたびに、感想がちがう。

ぼくにとっての良いストーリィとは、そのときどきの、ぼくの合わせ鏡のようになっているんだね。

プログラミングで数学やった方が実感できるかも

pythonをやってみて、まず、さしょにfor文でつまずいた。次にclass。

ま、アタマで考えているうちはダメで、なれてきて、わからないことが気にならなくなると、どんどん、おもしろくなってくる。

プログラミングをやってみると、高校のときの数学は、じぶんで関数をつくって、値を入れた方が実感できる。

逆にいえば、数式をつかう数学は十分に抽象的で、理解に苦しんだりもする。

中・高生の数学はプログラミングで解を得てもオッケーにすると、助かる学生もいるよね。