明治という時代は、さいしょから版図があったわけではなさそうだ。やっていくうちに江戸の封建社会では輩出されなかった人材が登用され、彼らの、当時では想定外の施策が実行されていった。

たとえば、何百年も続いた藩をいったん天皇に召し上げる版籍奉還という大胆な発議は、伊藤博文である。ちなみに版籍奉還のあと、廃藩置県で藩から県に再配置されたのは、周知のとおりである。

円をとりまとめたのは大隈重信だ。

江戸時代、東日本は大判、小判といった金貨、西日本には匁(もんめ)という銀の重さで価値を計る銀貨が流通していた。明治のはじめには、まだこの金貨・銀貨が流通していたし、

さらに明治新政府が鳥羽伏見の戦いのあとのイクサのために、戦費の不足のために急こしらえした天保通宝、光岡八郎の発議による太政官札、藩札、それに天保通宝の贋金など多くの貨幣が混在し、流通していた。

それを円、銭、厘にとりまとめたのが大隈重信だ。大隈イコール早稲田の創始者となりそうだけれど、円の創設も偉業だよなぁ。参考までに、大隈は佐賀藩の鉄砲方の息子である。

個人的には江戸時代は好きだ。そのまま続いていてくれたら面白かったのに、と思わなくもない。

でも、もし各藩主のご先祖さまのご威光が末裔(まつすえ)に引き継がれる時代が続いていたなら、どうだったろう。海外の諸事情の変化に対応できないどころか、西欧にイニシアチブをとられ、もっと、きゅうくつな日本になっていたかもしれない。

そう思うと、三条実朝や岩倉具視といった公家さんや、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允といった倒幕に打って出た人たちの行動は、評価できるのかもしれない。江戸封建社会の突破により、明治創生期は、家柄でなく、能力のある人がしかるべきポジションにつけたんだろうからサ。