終戦後しばらく、ものが不足していたという。

戦争では軍事にお金を傾斜させたので、終戦をむかえたときには民需を支えるような設備は不足していただろうし、

そもそも生産設備じたい、空襲でかなり、とぼしくなっていたとおもう。

げんざいは、どうだろう?

ものは、あまっているじゃない。

なので、極端なもの不足にあった終戦後、あたらしい生活スタイルに求められた旺盛なものの需要のあった高度成長時代とちがい、げんざいは、ものがあまっていることを前提に社会も経済もまわっているとおもうわけ。

ものがあまっているなら、かいたいものは、みあたらないだろう。みんなが、どうしても欲しければ、ものの値段はあがるけれど、ほしくないのに、ものをつくれば値段はさがってしまう。

それに対して、日銀はマネーの供給量を異次元で増やす政策をとっている。金融機関は国債を保有している。その国債を日銀が買い上げ、金融機関の当座に大量のマネーを供給している。しかし民間に需要がないため、金融機関から先、世の中に、日銀のおもわくどおりにマネーが出ていかない。

企業はどうだろう。

ものが行きわたっているものだから、もののうえのレイヤーの躍進が目立っている。グーグル、アマゾン、フェイスブックといった会社だ。日本でいえばラインやメルカリといったところだろうか。アマゾンなどは、じぶんたちが考案した仕組みを普及させるために、アマゾンエコー(見本未発売)やダッシュボタンといったデバイスを逆につくっているわけで。