AIには、ふたつの種類がある。

ひとつは、碁の対局を行なうアルファー碁のような、ひとつのことに特化したタイプ。

もうひとつは、鉄腕アトムやドラえもん、あるいは「けものフレンズ」のラッキービーストのような、いろいろなことができるタイプ。

しばしば、人工知能には意識があるかどうか論じられる。それは、前者ではなく、後者を指していることが多い。

そして、個人的には、たとえ、ひとに近いかたちをしていても、鉄腕アトムやラッキービーストに意識があるようなかんじはしない。

意識ではなく、認知はしているとおもう。

そう。AIには認知とコトバが、ぴったりするけれど、どうだろう?

もちろん、ひとも認知する。認知症のひとも認知する。

ただし認知症の認知は、一般的なそれとは違うケースが少なくない。一方、AIの認知も、ひとにはできないような認知をする。

なにを言いたいのかというと、認知症とAIは、親和性が高いんじゃないか、ということを、ぼんやり、かんがえていたわけ。

ちなみにチベット仏教も、ちがう認知だ。