「サード・ドア」

コピーライターにとって取材は企業から依頼されものであり、

そして、その内容は新聞や雑誌に載せるためのものである。

しかしウェッブの存在はとても大きく、旧来の媒体は相対化されていった。

言い方を変えれば、いままで他に変わるものが存在しなかったため、既存の媒体は空気のように当たり前だったわけ。

ぼくたちは、取材をどのように変容させ、とらえてゆけば良いか、深い霧の中を、さまよいはじめた。

コピーライターどうし、昼食をとちながら話し合いもしたし、折をみて、糸口になりそうな書籍を読んだりもした。

「サード・ドア」(アレックス・バナヤン)に出逢えて、よかった。

本書は、アメリカの青年が、ビル・ゲイツなど、いわゆる偉人たちにインタビューを試みる、ドキュメンタリである。

当時は、まだ大学生の、インタビュー未経験者が、そのために行動する姿は、なかなか興味深い。

参考になったのは、ビル・ゲイツにインタビューするために、関連書籍を読みあさり、アドバイスを請うために様々な人にアプローチしいていることである。

とりわけ、偶然に出逢えたラリー・キングからの金言とも言えるアドバイスは大きな収穫である。

で、それについて、敷衍(ふえん)して考えてみた。

取材というのは(新聞や雑誌に載せるような)目的ではなく、過程である。極論すれば、テーマについて調べること、人に聞く過程が、すでに取材である。

ぼくが取材という切り口で本書から得たものは大きい。

しかし、たとえば当時の筆者と同じ年くらいの20歳くらいの人が読めば、また違う収穫があるのではないか。

「サードドア」の感想

 

3つの扉について。

 

ユーザーどおしがつながるSNSの衝撃はおおきい。

新聞や雑誌をつうじた取材は、そのポジショニングの再考を余儀なくされている。

取材についての書籍は意識的に読んでいる。

「サードドア」(アレックス・バナヤン)も、そのうちの一冊と言える。

オリジナルのタイトルは「THE THIRD DOOR」。「第三の扉」だ。

本書によると、99パーセントの人たちは入れるかどうか分からない「第一の扉」で行列をつくっている。

「第二の扉」は、生まれながら良いポジションにいる人や、著名人しか通れないVIP専用の扉である。

そして本題となる「第三の扉」は、工夫をかさね、何百回もノックして、よくやく開く扉だ。

 

ならば、じぶんで取材しよう。

 

何かのドラマで見たのだが、アメリカの医学部の学生は四六時中、勉強を強いられている。ストレスは相当なものらしい。

著者もまた南カリフォルニア大学(USC)の医学部進学過程で、学業に追われる日々を送っていた。

医学部進学の単位が不足していたり、一方では、このまま医師になるのが果たして満足の行く人生なのか、煩悶している。

なにかヒントを得ようと、彼は図書館でさまざまな人の伝記を読みまくる。

彼は、ユニークな事業を指し遂げた人のキャリアパスについて、深堀りした書籍のないことに不満を持ち、

そして、じぶん自身で、現在の「ビックネーム」に取材することを思い立つ。

他国では、その感じがつかめない。

日本なら、たとえば、孫正義や宇多田ヒカルにインタビューする機会は得られない。取材未経験の人には、なおさらである。

なので、そういう人への取材の思いは妄想で終わる。

がしかし、筆者はちがった。試行錯誤しながら行動し、当初目標としたビル・ゲイツへの取材を達成する。レディ・ガガとの親交も深めた。

そして文字どおり、日夜奮闘するなかで、トニー・シェイ(ザッポスの創始者)、ディーン・ケーメン(発明家)、ラリー・キング(インタビュア)らに出逢う幸運に恵まる。金言も得ている。

本題は、ターゲットへの取材なのだが、じつは、その過程じたい、すでに取材になっているんですねぇ。

ま、彼の立場から言ってしまえば、それ自体が「サードドア」になっていたりする。

 

けれど、ゲイツの取材は成功せず。

 

ビル・ゲイツに会えたものの、残念ながら、本書に触れられているとおり、取材には成功していない。

本書で知ったのだが、コールド・メールという言い方がある。同書では、飛び込みメールと訳されている。つまり、知らない人へのイキナリのメールである。

彼はこの手法をよく使っていて、ゲイツに取材した経験をもつマルコム・グッドウェルにもコールド・メールしている。

「ゲイツは気さくださ、よくしゃべってくれるよ」

たしかに、よくしゃべってもらったようだが、はたして、筆者はゲイツの話す内容がうまく理解できなかった。

筆者は1992年生まれだ。

ウィンドウズ95がリリースされた年、彼はまだ3歳。

ビル・ゲイツがスタートアップした頃は、言うまでもなく、彼は生まれていない。

一方のマルコム・グッドウェルは1963年生まれである。

ということは、少なくとグッドウェルは、ゲイツのスタートアップの時期と同じ空気を吸っている。この、いわば同時代性というのは、あなどれないという。そういうことだとおもう。

これについては、ジャーナリストの佐々木俊尚さんが、東洋経済社のウェッブページで、とても上手に解説している。

 

取材メモについて

 

一方、偶然に出逢ったラリー・キングからは、とても良い言葉を得られている。世代をこえたアドバイスだとおもうし、

あるいは筆者の目指すこととラリー・キングのやってきたこと(インタビュー)が重なり合っているためかもしれない。

「ネットだけの誰とも分からない名前を好きになる人なんていない」

「僕たちが僕たちなりのスタイルで取材するのは、それが、いちばんリラックスできるからだ。こちらがリラックスしていれば、相手もリラックスできる」

(以上、オレの要約)

このへんは金言だとおもうなぁ。

それから、もう一点。

ビル・ゲイツの取材がうまく行かなかった筆者に対し、ラリー・キングとなじみのカル・フスマン(雑誌「エスクァイア」のライター)からアドバイスを受ける。

「こんどはメモをとるな」

それを受けて筆者はスティーブ・ウォズニアックへの取材は、リラックスしたものとなり(おそらく)こちらの取材は成功している。

 

取材のときに記録を残さない

 

ここからは余談となる。

かけだしの記者ふたりがニクソン政権の暗部にせまる「大統領の陰謀」は大好きな映画だ。

ふたりが追いかけたのは、いわゆる、ウェーターゲート事件である。

ボブ・ウッドワード(スティーブ・マックイーン)のメモする姿や、メモを走らす音は、なんど見ても、好きなんだなぁ。

そして、カール・バーンスタイン(ダスティ・ホフマン)の、取材相手を安心させるためにあえてメモをとらないシーンや、ワシントン・ポスト主筆が、彼らの取材に対し、「ちゃんとメモをとっていたのか」と問いただすシーンも印象的だ。

このことは映画上の脚色なのか、あるいは当時の現場の実際の感じだったのか知る由もない。

ただ、メモは、現在のICレコーダの録音と同様、記事を書く場合に参照するためのものにちがいない。

また一方では、取材者の「言った、言わなかった」に際する証拠にもなるんだろう。

そして、人は情報が残ることに身構える。

そもそもメモ取りや録音するのは(専門的だったり、長時間のインタビュー以外は)インタビュアと取材者に距離があるからなんだよね。

逆に言えば、メモ取りや録音ありきではなく、

しなくても良いかどうかを先に考えて、どうしても必要なら、どのようにしたら取材相手にストレスをかけないか考えるという、

あ、これ俺的には「コロンブスの卵」ですわ。