漱石と親鸞

江戸時代は鎖国の時代でもあった。海外との交流はとても少なかった。幕末、列強はアジアを侵食していった。国内にも脅迫感が充満していった。とうしょの風潮は、天皇を敬い夷狄(いてき)を打つ、いわゆる尊皇攘夷だった。それが一転、開国になっていった。

日本は、日清・日露戦争でその名が海外に知られるようになった、とおもう。

とうじも為替は弱かったけれど、両戦争以前、日本の通貨は、より円安(銭安?)だっただろう。

そのような状況で、国の費用で海外に留学した鴎外や漱石は、日本選り抜きの秀才だったとおもう。ま、わかりやすい言葉でいえば、エリートだったわけね。

年をとってくると、鴎外の文章も味わえるようになってくる。

けれど、どちらが好きかと言われれば、だんぜん漱石である。

漱石は自分の置かれた状況に棹(さお)されれば、大学の先生を続けて安泰だった。

しかし先生は、そうはせず、とうじベンチャー企業だった朝日新聞に入社し、小説を連載する。

その肖像が千円札にもデザインされた漱石が、日々のお金を心配していたとい事実は、現在の僕たちからすると、なんか、ポカンとしてしまうよねぇ。

ところで、吉本隆明と僕は好みが似ている。吉本さんもまた、漱石が好きである。親鸞も好きである。

吉本さんの視点はユニークだ。そのひとつを抜粋させていただこう。

「大秀才が万巻の経文を読み重ね、それを理解しつくす。しかし、そこでふと目を上げたとき、現実のさまざまな課題が迫ってくる。積み重ねてきた知識と現実のさまざまな課題を突き合わせたとき、後者のほうがうんと差し迫って見える。親鸞はおそらく、そういう転換が欲しかったんではないかと」(「吉本隆明 質疑応答集」(P49)

「まず僕は、親鸞の資質が好きなんですよ。要するに受身でしょう。彼は念仏を信じるも信じないも、みなさんの計らいだという。つまり思想を絶対にオルグしなくて、非常な受身なんですよ。もっと高級化していえば、親鸞は意志が通用する領域、意志がこしらえる領域をそんなに広いものと踏んでいないところがある。つまり、人間的な意志よりも、現実の向こうからからやってくる要因のようがそうとう重要だと考えている」(同P28)

「当時、仏教者として優秀な人はたくさんいたし、そこから出た門徒もたくさんいました。彼らは知識・教養あるいは理念としての仏教をもち、そうとう突きつめてきたかも知れないけれど、状況論がないんですよ。現在に理念を対応させるというものがない」(同P30)

これは親鸞についての解説だ。

ただし、漱石、とすり替えても十分な解説になりうる、とおもう。

漱石自身そういうところがあるし、小説でも、そういう感じを読み取ることができる。

おおよそエリートはエリートのままだけれど、漱石や親鸞は、位相を180°回転させたわけですねぇ。

 

共同の観念

「「古事記」や「日本書紀」のように神話的な記述を読んでいったとき、なんら荒唐無稽な物語でも、それと種族・民族の共同の概念が非常にリアルに接触していると思われるものがあれば、その物語にはそうとう重要な事実が含まれていると考えていい。ユングがいうとおり、共同の観念というのは、そう簡単に変化しないものなんですよ。」

(「吉本隆明 質疑応答集 人間・農業」/論創社 P105)