漱石と鴎外の描くエゴについて

個人的な、乃木希典のその印象は、司馬遼太郎の小説による。

しかし旧宅邸隣地に、自身と妻が祀られる神社(乃木神社)が建立される程の人物である。少なくとも当時は、多くの人たちに礼賛されていたに違いない。

記憶では、乃木の明治帝の殉死に触発され、夏目漱石は「こころ」を書き、

森鴎外は「興津弥五衛門の遺書」を書き、以降、歴史小説の執筆に傾注していった。

「こころ」は何度も読んでいる。

最後半、漱石は、とらえどころのない心を、幾重にも変わる心の様相として描いてみせた。見事な描写だとおもう。

乃木が明治天皇に殉死したのに対し、先生の場合は謎とされる。漱石の小説では「こころ」が一番読まれている。前述の心の様相の巧みな描写、そして先生の殉死の謎が、多くの人たちに読まれるポイントになっているとおもう。

鴎外は「妄想」という短編を残している。とても好きな一編である。

「阿部一族」など、鴎外は殉死をテーマとした小説を書いている。鴎外の考える、あるいは「こころ」の先生の殉死を知る上で、この「妄想」という小文は、何かのヒントになる予感の文章である。長くなるが引用してみようか。

「自分は小さい時から小説が好きなので、外国語を学んでからも、暇があれば外国の小説を読んでいる。どれを読んでみてもこの自我がなくなるということは最も大いなる最も深い苦痛だと云ってある。ところが自分には単に自我が無くなるということだけならば、苦痛とは思われない。只刃物で死んだら、その刹那に肉体の苦痛のみを覚えるだろうと思い、病や薬で死んだら、それぞれの病症薬性に相応して、窒息するとか痙攣するとかいう苦しみを覚えるだろうと思うのである。自我が無くなる為の苦痛は無い。

西欧人は死を恐れないのは西欧人の謂う野蛮人かもしれないと思う。そう思うと同時に、小さい時二親が、侍の家に生まれたのだから、切腹ということが出来なくてはならないと度々諭したことを思い出す。その時も肉体の痛みがあるだろうと思って、その痛みを忍ばなくてはなるまいと思ったことを思い出す。そして、いよいよ所謂野蛮人かも知れないと思う。しかしその西欧人の見解が尤もだとも承服することは出来ない。

それなら自我が無くなるということに就いて、平気でいるかというに、そうではない。その自我というものが有る間に、それがそんな物だとはっきり考えても見ずに、知らずに、それを無くしてしまうのが口惜しい。残念である。」(「妄想」森鴎外より抜粋)

「こころ」の言葉

本は、わりと通読している。

通読の良い点は、思い出したように再読したとき、以降、肩の力を抜いて読めるところにある。

パラパラめくって、目の止まったところだけ読むのもいい。そんな感想を持つことも出来る。

漱石の小説は、すべて読んでいる。ゆいいつの自慢である。

小説をめくると、「あ、この数行だけで、漱石のこだわりが読める」と思ったりもする。

いちばん繰り返し読んだ小説は「こころ」だネ。

漱石は、小説により文体がちがう。

「こころ」に限っては、前半と後半の文体がちがう。

後半は、暗く、深刻な文体になっている。

漱石は、ぎりぎりの言葉で書いている気さえする。

「ぎりぎりの言葉」感で言えば、宮沢賢治の詩にも同様の印象を持っている。

人によっては「それはウソだよ」という指摘をするかもしれないけれど、

ま、ぼくのばあい、それは「ぎりぎりの言葉」なんだよねぇ。

漱石と親鸞

江戸時代は鎖国の時代でもあった。海外との交流はとても少なかった。幕末、列強はアジアを侵食していった。国内にも脅迫感が充満していった。とうしょの風潮は、天皇を敬い夷狄(いてき)を打つ、いわゆる尊皇攘夷だった。それが一転、開国になっていった。

日本は、日清・日露戦争でその名が海外に知られるようになった、とおもう。

とうじも為替は弱かったけれど、両戦争以前、日本の通貨は、より円安(銭安?)だっただろう。

そのような状況で、国の費用で海外に留学した鴎外や漱石は、日本選り抜きの秀才だったとおもう。ま、わかりやすい言葉でいえば、エリートだったわけね。

年をとってくると、鴎外の文章も味わえるようになってくる。

けれど、どちらが好きかと言われれば、だんぜん漱石である。

漱石は自分の置かれた状況に棹(さお)されれば、大学の先生を続けて安泰だった。

しかし先生は、そうはせず、とうじベンチャー企業だった朝日新聞に入社し、小説を連載する。

その肖像が千円札にもデザインされた漱石が、日々のお金を心配していたとい事実は、現在の僕たちからすると、なんか、ポカンとしてしまうよねぇ。

ところで、吉本隆明と僕は好みが似ている。吉本さんもまた、漱石が好きである。親鸞も好きである。

吉本さんの視点はユニークだ。そのひとつを抜粋させていただこう。

「大秀才が万巻の経文を読み重ね、それを理解しつくす。しかし、そこでふと目を上げたとき、現実のさまざまな課題が迫ってくる。積み重ねてきた知識と現実のさまざまな課題を突き合わせたとき、後者のほうがうんと差し迫って見える。親鸞はおそらく、そういう転換が欲しかったんではないかと」(「吉本隆明 質疑応答集」(P49)

「まず僕は、親鸞の資質が好きなんですよ。要するに受身でしょう。彼は念仏を信じるも信じないも、みなさんの計らいだという。つまり思想を絶対にオルグしなくて、非常な受身なんですよ。もっと高級化していえば、親鸞は意志が通用する領域、意志がこしらえる領域をそんなに広いものと踏んでいないところがある。つまり、人間的な意志よりも、現実の向こうからからやってくる要因のようがそうとう重要だと考えている」(同P28)

「当時、仏教者として優秀な人はたくさんいたし、そこから出た門徒もたくさんいました。彼らは知識・教養あるいは理念としての仏教をもち、そうとう突きつめてきたかも知れないけれど、状況論がないんですよ。現在に理念を対応させるというものがない」(同P30)

これは親鸞についての解説だ。

ただし、漱石、とすり替えても十分な解説になりうる、とおもう。

漱石自身そういうところがあるし、小説でも、そういう感じを読み取ることができる。

おおよそエリートはエリートのままだけれど、漱石や親鸞は、位相を180°回転させたわけですねぇ。