バブルでは?

AIが、はやっている。

けれど、実態は、ディープラーニングという手法が期待されているところにある。

ディープラーニングは、私感では、主に回帰分析と分類が行われる。

前者は予測に、後者は写真の補正や(Google Lensのような)画像認識に使われている。

まだ、そのくらいなので、とても世間一般で言われているようなAI、とまで行かない、とおもう。

何を言いたいのかというと、AIはバブルなのである。

期待に比べれば、ささやかな技術に、兆単位のお金が流れている。

話は変わる。

とつぜん日本銀行の話をする。

日本銀行は、金融機関の国債を買い入れ(日銀にとっては資産を膨らまし)、一方で金融機関の当座にお金を入れている(日銀にとっての負債を膨らましている)。

黒田総裁着任以降、そのバランスは、とても大きくなっている。

大きくなっているわりには、景気の実際は良くはなっていないとおもう。

たしかに失業率は低くなっていて。消費税2%アップに比べ、失業者が増えた方が、はるかに需要は縮小するでしょう。

仮にだよ、1世帯10万円を消費していて、消費税0.2%増えたとしても、

1か月で
(10^5 ) ✕(2*10^-2)=2*10^3 = 2000円
支出が増え、

1年で
2000✕12=24,000円の支出が増える。

日本の人口は1億3千万なので、全体の負担は
2.4*10^4 ✕ 1.3*10^8 = 2.4✕1.3✕10^12 = 3.12 ✕ 10 ^12
=3.12✕1000000000000=3.12兆円となる。

仮に、消費税負担分をみんなが節約すると、ざっくり言って3兆円の需要が消えてしまう。

でもさ、失業者が増えたら、消費税分の節約どころか、桁違いの節約をせざるえ得ないので、この点、日銀が金融緩和を行ない、(関係は分からないけれど、たぶん)失業率を抑えていることは、正しい、とおもう。

金融緩和により需要の縮小を抑える、つまりデフレ対策としての日銀の政策は効果を発揮している。ただし、一方の日銀のバランスシートはどうだろう。やっているわりには、需要側ではなく、供給側の生産性は上がっていないし、新しい商品やサービスも出ていないのが実態ではないか。日銀は、AIブームと同様、実態から離れたバブルを形成してやしないか、というのが、ぼくの、つたない考え。

 

Apple、切れがなくなったなぁ

あたらしい製品を購入する際には自分なりのクセがある。

ひとつは真新しい(と思われる)技術が取り入れられている製品の購入だ。

iBookを長いあいだ利用していた。

当時はLANケーブルでネットに接続していた。

けれど、途中から、他社に先駆けアップル社が、無線LANのひとつの規格、Wifiを取り入れはじめた。

有線LANから無線LANへ。

あ、これ新しいものへの替え時だと思ったねぇ。

当時は、げんざいのように(ひとつのボードに各種半導体が搭載された)マザーボード使用ではなく、じぶんで部品を組み込める仕様になっていて。じつは、しばらく、じぶんでwifiのモジュールを組み込んで、使っていたけれど、ね。

ま、それに比べると、近年のMacコンピュータは、これといった目新しさが感じられないわけで。

何年前だろう。スティーヴ・ジョブスを主人公にした映画が上映された。

で、それに合わせたように発行された、ジョブズ特集のWired(雑誌)が手元にある。

そのなかで、ジョブスは「iPadはコンピュータだぜ」という発言をしている。

きのうか、おととい、iPadOSが使えるようになったらしい。

ジョブズ以来、iPadはデスクトップコンピュータの次のコンピュータという位置づけでやってきたのかも知れない。

個人的に言えば、iPadは中途半端な感じがして、途中から、iPhoneとMacBookAirの使用に切り替えた。それでiPad的なことは、フォローできるという判断からだ。

とはいえ気になるので、iPadOSについて、少しだけ調べてみた。

ファイルの管理ができるみたいね、

(コマンドラインを打ち込む)ターミナルは搭載されていないね、

そこまでは確認できた。

テック大手はスローガンをかかげている。

たとえばグーグルなら「AIファースト」だし、

マイクロソフトは「地球上のすべての個人とすべての組織が、より多くのことを達成できるようにする」

だ。

それに対して、アップル社は、なにもか掲げていない。たぶん。

そのへんも、ああ、もどかしい〜

もどかしさ=> おもわせぶり=> 時間稼ぎ&ブランド戦略などと、疑いたくもなるなぁ。

AIとチベット仏教

AIは、ひとを超えるのか。そういう議論がある。

個人的には、脳に還元される(脳をモデルにする)ことは、AIで実装されるとおもっている。

その境界線にあるのは意識だろう。意識が脳によるものなら、AIも意識的になるかもしれない。

チベット仏教は、こころを分析する哲学ともいえるでしょう。

こころは脳にはない。むしろ、こころの成長が脳を変容させるという。

ちなみに意識や自我には、はじまりもなければ、おわりもないという立場だ。

静かなブームとなっているチベット仏教は、過熱するAIに対する無意識的な批判なのかもな。