従来の、空気のように普通だと思っていた基準が不確かになってきている。その結果、一方では「好き」「嫌い」を基準に、それが増幅され、たとえば、現在の日韓関係の深刻さとして表出させている。自由や民主主義は普遍的ではないでしょう。理念を持ち続けてきたことで、保たれてきたんだと思う。本来は、「好き」「嫌い」で相手をやっつけてしまうような、荒々しいものだと、言えなくもない、と思う。
「ショック・ドクトリン」というナオミ・クラインの書籍がある。ずいんぶん前に読んだので、記憶が不確かだけれど…アメリカの政策を立案する、あるグループが、混乱している南米や東欧のある地域をさらに混乱させ、カオス状態にさせた上で、自分たちのアイデアが社会にどう実現するかどうか確かめ…そして、その結果を踏まえて自国にも、そのアイデアを入れていこうとした…そういうことが書かれていたと思う。アメリカを更地にした上で、まったく新しくするといった当初のトランプの政策立案者のバノン(だっけ?)の発言は、この「ショック・ドクトリン」という書籍を思い出させる。
以前より感情的になっている一方で、本来専門的な内容である統計やファクトフルネスの書籍が売れている。
「統計学が最強の学問である」という書籍は、ベストセラーになった。
それだけ統計が一般の需要に応えたとも言えるし、それだけでなく、本書が統計という数式や図式の世界を、分かりやすい言葉を中心に書き切ったという点が、広く読まれた要因になっていると思う。