アップル・シリコン

従来のMacにはIntel製のCPUが搭載されている。

しかし、今月発売された一連のMacには自社開発のCPU、いわゆるアップル・シリコン(Apple M1)が実装されている。

しかも、iPhoneやiPadと同様のSocとなっている。

あらためてSocについて調べてみた。

ウェッブをめぐっているうちに、クアルコムのスナップドラゴンはSocであることを知った。

アップルシリコンの概略図については、アップルのウェブサイトで公開されている。ファブリックって、なんだろう…?

追記:ファブリックは、CPU・GPU・DRAM(メモリー)・キャッシュ・Neural Engine(機械学習の推論演算に特化した機構)すべてとつながっている。ここにヒントがありそう〜

熟練とブランド

なんとなく、ひとの手際は同じだとおもっていた。

けれど、あることに付き合い、そうでないことに実感した。

ひとの手際というのは、ひとりひとり違うのようだ。

そして長年やっているひとは、やはり手際が良い(上達しないようなら、途中でやめてしまうことだって、あるだろう)。

そうおもうと、ひとりのひとが、そのことだけを毎日繰り返し、何年も、何十年も続ける、場合によっては、息子や社員に引き継いていく、いわゆる熟練というのは、たいしたものだとおもう。

一方で、熟練の動きのセンサーでフォローし、そのデータにより特徴量を見つければ同様のことができてしまうという説もある。たしかに、ディープラーニングといった機械学習のここ数年の前進は著しいけれど、でも肝心の手に当たる部分の開発が難しいとも言われている。

ここで問題にしたいのがブランドと熟練についてだ。

熟練により、その商品が長く使えることと、ブランドは関係あるでしょう。

では、そのさいに、データにより、人の手を使わずに機械で作った同じ商品は、ユーザーにとって、同様のブランド感はあるのだろうか。

けっこう深い問題だよね。

コピーが数十年後、実業に

「すみません、ほぼ日の経営。」を再読した。

「第一章 ほぼ日と事業」の密度が濃い印象を受けた。

なぜ「第一章」なんだろう…?

それは、語り手の糸井重里(敬称略)がコピーライター、ほぼ日を経て、数十年のあいだ、なんども問い続けてきたことがコトバになっているからだと思う。

けれど、「第二章」以降は、おもに、ほぼ日が上場したのち、勘案されたコトバだと思うんだ。

練られたつづけた時間のちがいと言えそうだし、(失礼ながら)後者は、ハツラツとした若い年齢ではない、ということも関係しているのかもしれない。

個人的には、上場してからのコトバは、なんか、つけたしている印象があったりして。

ハナシを「第一章」に戻すと、(とくに上場前の)ほぼ日の旗印は、30年以上前に糸井さんが書かれたコピーで語れてしまうと、まぁ、そんなことを言ってしまいたい。

ちがう言い方をすれば、西武デパートのコピーで言っていたことを、じっさいに、こんどは「ほぼ日」でやっているとも言えそうなんだよねぇ。

(1981年)

不思議、大好き。

世界の七不思議だけじゃない。シンセサイザーだって、小説だって、今日のお天気も、おいしい料理の味つけも、編みこみのセーターも、いい音楽も、人間のカラダも、美しいティーカップも。みんなみんな、心ときめかせるものは不思議でいっぱいだ。不思議の近くには感動とか発見、幸運なんてコトバがいくつもかくれていそうだから、誰でも、不思議が大好き。これを1981年の西武のテーマにしたいと思います。

(1982年)

おいしい生活。

甘いばかりじゃ、退屈です。辛い、苦い、酸っぱい、渋い、といろいろあるオトナの生活。問いたいのは味であります。身も心もとけるようなおいしさ。よく噛みしめてわかる深遠なるおいしさ。ちょっとくせのある不思議なおいしさ、味のないのは嫌いまずいのはダメ。自分のおいしさをさがすトリップは、そのまま、自分の生活をさがすことらしい。おいしい人に逢って、おいしい本を読んで、おいしいファッションを見つけて、おいしい時間をすごす。そんな生活、理想に終わらせたくないなあなたと一緒に、西武も、もっと食いしんぼうになるつもりの千九八二年です。

(1987年)

ほしいものが、ほしいわ。

ほしいものはいつでも、あるんだけど、ない。
ほしいものはいつでも、ないんだけれど、ある。
ほんとうにほしいものがあると、それだけでうれしい。
それだけは、ほしいとおもう。