ヒューマニティ

ヒューマニティという言葉があるでしょう。

humanity、言うまでもなく、英語だね。

humanityはGodと対抗しているらしい。

なので、ヒューマニティという人間中心のとらえ方に対し、保守的なクリスチャンは、まゆをひそめることも多々あるとか。

「21世紀の啓蒙」(スティーブン・ピンカー)によると、世界的に宗教を信じる人は減っているらしい。

アメリカでも減少している。

しかし、信心深いひとの多くは、選挙に足を運ぶ。

今年はアメリカでは大統領選挙が行われる。

トランプが福音派に気をつかうのは、そのような理由があるようだ。

で、ヒューマニティのはなしである。

ダライ・ラマの書籍を愛読している。

ヒューマニティということばが、よく出てくる。

西欧では、ややもすると、ダライ・ラマのヒューマニティを、啓蒙主義として、とらえているかもしれない。

一方、日本には、ヒューマニティということばは、ない。

あえて言えばなんだろう。おたがいさま、かなぁ。

ま、それはいいとして、西欧のGodが日本にはいないぶん、日本はかえってヒューマニティが、気にすることもなく、つかわれていたりするかもしれない。時間があったら、ダライ・ラマのヒューマニティを深堀りしてみたい。

パンデミックス

「ファスト&スロー」(ダニエル・カーネマン)は、ひとの心証にはバイアスがかかっていることを知る良書である。

認知の現在点がある。そこから良くなる方向に比べ、悪くなる心証には大きなバイアスがかかる。

中国の武漢から、コロナウィルスによる疾患が拡大している。

そのさい、悪くなる心証にはバイアスがかかっている。さらにマスメディアやSNSにより、それは助長される。なので、

悪化については、ある程度「重み」をつけて、とらえておいた方が良いだろうと、まぁ、そうおもう。

パンデミックスとしては、スペイン風邪がよく知られている。

ウィキペディアによると、死者数は5000万人から1億人と推定される。

蛇足になるけれど、

スペイン風は、じっさいはアメリカで発症し、世界的にパンデミックスになったのだが、大戦下、情報規制がなされていなかったスペインから、その情報が流通したため、スペイン風邪と名付けられているそうな。

ペストは、中世にパンデミックスした。同じくウィキペディアによると、ヨーロッパの人口の1/3がペストにより減少したらしい。

国という線引は思ったより新しい。国が出現する以前は、領土だったでしょう。

で、ペストにより領民が大激減し、領土の賃金は高騰していき…割に合わなくなった領主は、じぶんの領土を放棄し…やがて、それが国になっていったという説もあるよね。

いずれにせよ、何千万、何億の単位で、人がなくなるのは、ウィルスや細菌、そして政治イデオロギーによるものだと思っている。これからは環境問題も、そうかもナ。

ま、今回のコロナウィルスについては取り急ぎ、冷静でいよう。

所与が上書きされていゆく

もう何年くらい前になるのかなぁ。アドラー心理学を下地にした「嫌われる勇気」という本がベストセラーになったでしょう。

書店で売られるような本は、心理学など門外漢な俺でも、分かりやすく内容を知ることができる。

ちなみに、かつてユングの書いた専門書を読もうして、3ページで投げ出した経験がある。

アドラー心理学の特徴は、過去の出来事から、その因果関係を見つけて、現在の心理を解読するのではなく、

心理状態というのは、どんどん上書きされていくというアプローチにあるみたいネ。ホリエモンは、このアプローチを盛んに、ほめていたっけ。

高校になると、数学で確率を習うでしょう。少なくとも俺の時代は、サイコロを振ったり、ふくろから赤や白の球を取る確率だった。

それに対して、条件や状況を勘案するベイズ推計というのがある。

たとえばサイコロの例なら、上記の、いわゆる頻度論のばあい、1の出る確率は1/6だけれど、1の出目が他より3倍多い場合は、その確率は変わってくる。

で、ベイズ推計を時間軸で考えてみると、変化した状況に応じて、確率を上書きしていくと、まぁ、こうなる。

状況によって所与を変えていくアドラー心理学やベイズ推計は、見直されている、

というか、もしかしたら、21世紀に対応するための大切なアイデアなのかもしれない。そんなことをフとおもった次第。

リストの中の文字の削減

リストの中の文字の削減を試行錯誤してみた。

a=['100,000,000百','100,000,000百','100,000,000百']

# for文でリスト内の文字を回しながら、,と百を除く。
d=[]
for i in a:
     b=i.replace(',','')
     c=b.replace('百','')
     d.append(c)
print(d)
['100000000','100000000','100000000']

# str型からint型への変換。こちらは内包表記にて。
f=[int(e)for e in d]
print(f)
[100000000,100000000,100000000]

文字の削減(python)

pythonで文字を削減する。

a='100百'
# stripメソッドは両脇にある数字しか削除されない。
print(a.strip('百'))
# 参考
b='10百0'
# 削除されない。
print(b.strip('百'))
>10百0

# 削除したい場合はreplaceメソッドを使う
c='10百0'
# 第1引数は削除したい文字,第2引数には空白
print(b.replace('百',''))
>100

c=(b.replace('百',''))
# 型の確認
type(c)
str

# 型をintに変換
c=int(c)
type(c)
int

商品経済.. ?

これは、覚書のようなもの。不確かであります。

この2、3日、啓蒙主義について書いている。ピンカーなど、読んでいるせい、じゃなかった、読んでいるおかげだ。

日本では、明治の世になり、西欧の合理性はわりとスンナリ理解された。

それは江戸時代には、すでに商品経済が発達していたからだ、という説がある。

そもそも、商品経済という言葉を理解していない。

井原西鶴は読んでいる。

「曽根崎心中」は大好きである。そのタイトルは知られているだろう。

本書、あるいは「冥土の飛脚」に為替が出てくる。

女性といっしょになるために為替に手をつけたのか、逆に、為替に手をつけたために女性と駆け落ちしたのか、忘れてしまったけれど、ま、いずれにせよ、元禄時代には、江戸から大阪に現金を運ぶ変わりにすでに、為替が利用されていた。

大阪堂島に、米の先物取引があったことは周知のとおりだ。

西鶴の「日本永代蔵」を読んでも、その当時すでに、お金は、現物のお金だけでなく、お金を抽象化した概念が商人たちに応用されていたことが分かる。

その数字の操る下地が、明治期に輸入された西欧の合理性の理解に役立っているという説ネ。

「21世紀の啓蒙(下)」

 

きのう、ピンカーについて書いた。

西欧の、啓蒙主義や進化論が自明になっている点には賛成しない、

と言っても、啓蒙主義的なことには賛成である。

「21世紀の啓蒙(下)」では、予測の研究結果について触れている(P260〜)。

「(予想の)実験の成績が悪かったのは、何かしら思想信条に固執し、それを自身に結びつけている人だった」という。

ちなみに、その結果は、チンパンジーのダーツの的当てより低い確率だったそうだ。

一方、確率の良かったのは以下のようなプロファイルとなっている。

「これらのグループは現実的な専門家で、数多くの分析ツールを使い、しかも取り組む課題に応じて使い分けた。彼らはできるだけ多くの情報源からできるだけ多くの情報を集めた。そして考えるときには「しかし」「でも」「とはいえ」「その一方」といった転換語を使って頻繁に頭を切り替える。また確実性についてではなく、可能性や確率について語る。誰でも「私が間違っていました」とはいいたくないものだが、彼らは他のグループより素直に間違いを認め、考えを変えた」(P263〜264)

ピンカー

スティーブン・ピンカーは、どのくらい読まれているだろう。

というのは、「暴力の人類史」といい、さいきん翻訳・出版された「21世紀の啓蒙」といい、ページがブ厚い。

ピンカーは、暴力死も貧困も減少していて、なんやかんや言っても、世界は良くなっていることをグラフ参照のもと示している。

人類は啓蒙主義のおかげで進歩している。進歩により貧困は減少している。格差は広がっても、肝心なのは貧困の減少である、と、まぁ、そんなかんじ。

ちなみに啓蒙というのは、まず(ガリレオやケプラーといった)科学革命があり、反証の可能性など、科学の特徴を(アダム・スミスといった)社会や経済のアイデアにも取り入れていく感じらしいよ。

「21世紀の啓蒙」には、いくつかの違和感がある。

そのひとつは、格差、そして幸福感まで定量化が試みられている点だ。

格差や幸福感というのは、一人ひとりの、その時々の気持でしょう。

データセットを集めグラフで示されても、個人の格差感や幸福感とは位相がちがう。

それらは主観的なもので、データと、個人の「おれ幸せだなぁ」「いま辛いわ」感は、まったく別物だよね。

啓蒙主義が普遍的なものとして言いたげな所にも、違和感がある。

ヨーロッパで生まれ育った啓蒙主義は、日本には明治になって、福沢諭吉らによって輸入された。

それには違和感が伴った。

漱石は小説の中で、その違和感を繰り返し描いてみせた。

小説を読む時間がなかったら、どうぞ「私の個人主義」という講演集を読んでくださいませ。漱石の考え方、感じ方が濃縮されているから。

ま、進歩についてですけれど、

ピンカー的なものより、オレ、吉本隆明の、アジア的なものを、どう進歩させるかといった「アジア的段階」の方が、しっくり行くんだなぁ。

GPS

News Picsのホリエモンの記事のコメントから「衛星コンステレーション」ということばを、はじめて知った。

イーロン・マスクは、ファルコンの先に衛星を搭載して、宇宙空間に放すプランを、たぶん、もう実行しているでしょう。

最終目標、なんと1万2000機だぜ。

そしてアマゾンのCEO、ジェフ・ベゾスも「衛星コンステレーション」の計画をすでの発表しているみたいね〜

いぜん、東芝の小向工場で、じっさいの衛星を見たことがある。はなしをうかがうまで、「これ模型?」とおもってしまったっけ。衛星って、おもった以上に小さいんだわ。

ところで、このGPSの解説は、わかりやすいねぇ。