ピンカー

スティーブン・ピンカーは、どのくらい読まれているだろう。

というのは、「暴力の人類史」といい、さいきん翻訳・出版された「21世紀の啓蒙」といい、ページがブ厚い。

ピンカーは、暴力死も貧困も減少していて、なんやかんや言っても、世界は良くなっていることをグラフ参照のもと示している。

人類は啓蒙主義のおかげで進歩している。進歩により貧困は減少している。格差は広がっても、肝心なのは貧困の減少である、と、まぁ、そんなかんじ。

ちなみに啓蒙というのは、まず(ガリレオやケプラーといった)科学革命があり、反証の可能性など、科学の特徴を(アダム・スミスといった)社会や経済のアイデアにも取り入れていく感じらしいよ。

「21世紀の啓蒙」には、いくつかの違和感がある。

そのひとつは、格差、そして幸福感まで定量化が試みられている点だ。

格差や幸福感というのは、一人ひとりの、その時々の気持でしょう。

データセットを集めグラフで示されても、個人の格差感や幸福感とは位相がちがう。

それらは主観的なもので、データと、個人の「おれ幸せだなぁ」「いま辛いわ」感は、まったく別物だよね。

啓蒙主義が普遍的なものとして言いたげな所にも、違和感がある。

ヨーロッパで生まれ育った啓蒙主義は、日本には明治になって、福沢諭吉らによって輸入された。

それには違和感が伴った。

漱石は小説の中で、その違和感を繰り返し描いてみせた。

小説を読む時間がなかったら、どうぞ「私の個人主義」という講演集を読んでくださいませ。漱石の考え方、感じ方が濃縮されているから。

ま、進歩についてですけれど、

ピンカー的なものより、オレ、吉本隆明の、アジア的なものを、どう進歩させるかといった「アジア的段階」の方が、しっくり行くんだなぁ。