かつて情報空間のサイズは限られていた。
たとえば、テレビは、電波の割り当てられたチャンネルの総計だし、
新聞は、全国紙・スポーツ紙・地方紙の、それぞれの日々の決められたページ数の総量というふうに。
しかし、現状はちがう。
いまや情報空間は、ネット系の、ウェッブサイトやSNSにより無限大となっている。
梅棹忠夫先生は50年以上前に、すでに情報産業というコンセプトを唱えていた。アルビン・トフラーより、早いとされる。
これは学術の世界だ。が、しかし、すでに、現実にそうなっているでしょう。
社会や経済の主役は、すでに工業から情報に移っている。
そして、ぼくたちは、そのことを意識的にとらえていかなければならない。
このさい、広告の文章はもう読まれない、と言ってしまおう。
「名作コピー読本」で、ボディコピー(広告の説明文)を一生懸命に学んだのは、今は昔である。
情報空間の無限性のなかにあって、げんざいはボディコピー、それからキャッチコピーより、むしろネーミングの方に多くの期待が寄せられている。
デザインなら、その場でメッセージが完結してしまう、商品のパッケージやロゴマークが有用だとおもわれる。
とは言え、情報の空間だけでなく、時間も異次元になってきている。商品やサービスさえ、寿命が短い。
なので、いちいちネーミングやロゴマークを広告代理店に頼んだり、プロのコピーライターやデザイナーに頼んでいては、間尺が合わなくなっている。
げんざいCrowdWorksやLancersといった、主にフリーランスを対象にした仕事を落札するプラットフォームがある。
クライアントと何度も顔を合わせながら仕事を進めてきた世代にとって、多くの寄せられた応募作品からクライアントがお気に入りを選ぶ、これらのプラットフォームには否定的だった。
がしかし、「もう情報化だぜ」という所与を勘案すると、これは必然かも、とおもったりもしているんだ。