一方的では、なくなってゆく

ぼくの半生以上は一方的な環境の中にあった。親は、まるまる一方的な環境の中にいた。祖父、粗祖父…というふうに、どんどん上に遡っていく、というふうに、頭の中で遊んでみようか。

僕たちの先代を含むアジアなら米を、西欧やアラビア半島なら麦を、南米ならトウモロコシを栽培し始めた頃。

一方的なトレンドは、その頃から始まったんだと思う。

さらに先史へ、いわゆる狩猟時代は、一方的ではなかったと思う。

そろそろ「一方的とは何? 」とツッコミが入りそうですねぇ。

一方的とは、農耕時代に始まったとされる支配者→被支配者、

現代なら、そうだなぁ、製品→卸→小売という商品の流れ、テレビ→視聴者、先生→生徒などなど、時間をかければ、もっと書き出せそうだ。

ちなみに漱石の描く小説のエゴは倫理が中心にあるけれど、村上春樹のそれには中心がない。分散している感じ〜

「サピエンス全史」という書籍が話題になった。

一見、狩猟時代を僕たちは阻害してしまいがちだが、本書を読んでいるうちに、「けっこう、いい時代かも」と思ったりもする。

まず少人数で行動するので、伝染病にかかるリスクが少ない。

イノシシを狩って、あとは自由だ。いまより、全然、時間に束縛されなかっただろう。

そして、その中には一方的なラインは存在しなかったのではないか。

「サピエンス全史」の同著者は「ホモデウス」の中で、人が人を作る可能性のあるゲノム編集を引き合いに、「いまや人類は数万年単位の変化の時期にある」といっていたと思う。タイトルの「ホモデウス」も「ホモ(人類)がデウス(神)」になるというニュアンスだね。

ま、著者のユヴァル・ノア・ハラリのような広い視点に立つことは不可能だけれど、

これからは、一方的では、なくなっていくよね。

SNS、YouTube、クラウドファンディング、ブロックチェーンなど、かつてはなかったツールの存在は大きいよ。