ブリッジモード

 

ソフトバンク光に、変えた。

既存のNTTのひかり電話ルータ(終端装置)に、ソフトバンクから郵送されてきた光BBユニットを、LANケーブルでつなげるだけで変更が終了した。

で、この機会に、ついでに買い置きしていた外付けハードディスクを、つなげてみたけれど。。。これが、うまく、ゆかないんだなぁ。

なんでよ。

ハードディスクのメーカーにたずねてみた。「ひかり電話ルータと光BBユニット両方にルータ機能がついていて、有効になっているからですよ」「うーん」

次にソフトバンクにたずねてみた。「そういうこと らしいんですがぁ…」「もうしわけございません、光BBユニットは、ルータ機能をオフにすることができません」「はい、はい」

こうなると、次はおのずとNTTに電話することになりまして。もうこのときは、ルータ機能を無効にすることを、ブリッジモードということを学習していたんだ。「あのぉ、御社のひかり電話ルータをブリッジモードにしたいんですけれど。。。」

この話は、つづくよ。

 

Gmailでお金が送付できたら…

 

アメリカでも、イギリスでも、Gmailにお金を添付して、送付できるみたい。日本でも、できるようになればいいいと思う。

まず、わざわざ銀行に足を運ぶ手間が省ける。振込手数料がかからないというのも、助かるなぁ。

たとえば寄付をしたい。それも、少額。その際に銀行にて手数料を取られるのは、ほんとうに腹立たしい。なので、このサービスが利用できるようになれば、よしよし、なのである。

寄付は「おれ、カンパするわ」という気持ちが頼りである。なのに、半強制的なケースもある。それは、会社や町内会でまわってくる手合いの募金だ。たまたま、その係りになった人にとっては、手数がかかる。でも、どうだろう。その際に、みんなからメールにお金を添付してもらい、係の方でとりまとめることができたら、かなり手間が省けるだろうよ。

ま、それだって、なにも会社や町内会がいっしょになって寄付しなくても、主旨に賛同した人が個人的に送れば良いと思うわけで。。。

 

アマゾンの対応、はやっ!

 

わからないことがあったら、そのサポートセンターに、電話するよね。だけど、アマゾンは違う。当社サイトに、自分の電話番号を入力すると、逆にサポートセンターから電話がかかってくる。しかも既存のサポートセンターのように、順番待ちさせられることもない。文字どおり、すぐにかかってくる。

返品の対応のはやさにも、びっくりした。オレさ、アマゾンに2つの商品を返品したわけ。その事情は、それぞれ違う。

ひとつは、映像が止まってしまい、最初のタイトルに戻ってしまうDVDの返品。先方の不都合による。一連の経緯は次の通り。

①アマゾンの該当ウェッブページより返品の申請 ②コンビニよりアマゾンに商品を送付 ③アマゾンより新しい商品が届く。

で、おっと思ったのが、返品したら、翌日には代わりの商品が届いたことである。これって、アマゾンは申請を受けた時点で(上記の①を確認した時点で)返品を待たずに、商品を送ったからだよね。アマゾンは、従来とは違ったクレジット(信用)のとらえ方をしているのかも知れないねぇ。

もうひとつの某商品の返品は、予想していたとおりの使い方が出来なかった当方の都合による。こちらの事情なので、全額返済していただくというわけには、いかなかったけれど。言いたいのは、その対応のはやさだよ。近所のセブンイレブンにその商品を出した翌日には、決済された旨のメールがアマゾンから送られてきたわけだから。

 

 

 

 

司馬さんの歴史小説

 

司馬遼太郎の作品が大好きで、だいぶ読んできた。その上で、言ってみよう。

司馬史観という言葉があるそうな。言葉だけ知っており、それが何を指すのか知らない。調べるのも、ああ、めんどうだ。

ただし、司馬さんの歴史小説には特長があると思う。ひとつは、坂本龍馬のような人物が歴史を変えるという書き方だ。たとえば、トルストイの「戦争と平和」(ピエール)や島崎藤村の「夜明け前」(青山半蔵)のような、普通の人が歴史とどうか関わってきたかというアプローチはない。

それと、もうひとつ。司馬さんは、時代時代の日本は違う、という見方をしていらしたように思う。鎌倉時代は鎌倉の、明治時代は明治の、そして(小説では書かれていないけれど)第2次世界大戦は、その当時だけ別の国になったような。そんな描かれ方をされていたように思う。

ところで、時間があったら、万葉集や古今和歌集を読んでみたいと思う。ゆいいつ知っている古歌は、小倉百人一首にも選ばれている、紀友則の「久かたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ」である。この心情は分かるよ。数百年前に読まれた歌だぜ。

Lineとメール

Lineを使うと、少なくとも、メールでやらなければならない2つの手間をを省くくとができる。

まずメールのように、タイトルをつけなくて良い。

続けてやり取りするばあい、メーラーのように、いちいちアプリを立ちあげなくとも良い。

その他にも違いがある。こちらは、どちらが良いとはいえない。それは、やりとりのリズムの違いのようなものだ。

Lineはやりとりが、続く。やり取りが、とどこおると「なんだよー」って、なりかねない。その点、メールは不自由ゆえに、一泊置くことができる。メールを受けた場合の、返信の自由の裁量が大きい。

ガラケーは、基本的にメールのやり取りになるわけで。それは、それで、Line的なことに追いかけられなくても良いもんなぁ。

漱石の文京区の坂

 

漱石は、現在の日本医科大学の近くに住んでいた。そのおかげで、小説の中の登場人物たちは、文京区に位置する坂や路を歩くことになる。思い出すままに書いてみよう。

三四郎は、菊人形を見るために、仲間たちと千駄木の団子坂を歩いた。途中で三四郎とミネ子は、みんなとはぐれ、二人きりで歩くことになる。「迷える子羊」なんて言ったりして。印象的な場面だよね。

同小説。三四郎は、与次郎のせいで、みね子からお金を借りるはめになる。後日、そのお金を返そうとするが、「いい」という、みね子。追っかける三四郎。その場所は、切通坂。

「こころ」の先生は、学生時代、伝通院の近くに住んでいたような。こんにゃく閻魔や、現在の小石川植物園を散歩していたんじゃなかったけ?

「道草」で、主人公の建三は、偶然、義父をみかける。あれは、坂をのぼって、本郷通りを曲がったところだったと思う。その坂は、えーと、何ていう坂だっけ。根津神社の表参道側の坂だったと思うんだけどなぁ。

イデオロギー

 

イデオロギーって、なんだろう? 気になるので、ウィキペディアで調べてみた。立場により、いろいろな解釈があるようだ。

そういえば、せんじつ、司馬遼太郎の本を立ち読みしていた際に、「イデオロギーとは」という一文をみつけた。いま手もとにないので、正確な文は分からない。(司馬さんは大好きな作家だけれど)それ以前に、どういうことが書かれていたかも思い出せない。

立花隆のある本を読んでいたとき、「これイデオロギーのことかなぁ」と思ったフレーズがあった。こちらは手もとにある。「正義という概念」。どうだろ。すっきりしているでしょ。自分なりに、もっと語れば「間違っていても、その正義をみんなで信じること」とか、さらには「人にそれを強要すること」とか、そんなイメージかなぁ、オレ的には。

もっとも、こなれていない言葉は使わない方がいいと思うし、ま、そもそも、イデオロギー的なことは、好きになれないわけでして。

「オレ、カレーが好きだよ」「わたしは、キライ」というふうに、対立したときは、好きな人がキライな人にお願いする。それは、言葉でもいいし、お願いした方が、おごるのでもいいし。そんなかんじで、いいんじゃないかなぁ。

Apple Watch

 

ふぁーあ、インターネットもあきてきたよ。ま、でも、まだインターネットの伸び代を期待しているところがあり、「なにかアッという製品が出てこないかなぁ」って、思ってもいたりもする。

Apple Watchは、ネット上の評判をみると、思ったよりよくないねえ。

個人的なことをいえば、げんざい持ち歩いているiPhoneとMacbookAirにくわえ、Apple Watchを手首にまくのは、ちょっと、しつこい感じがするけれど。ま、いずれにせよ、4月にアメリカで発売されれば、詳細はネット上で、その情報を見ることができるので、楽しみにしているよん。

取材について

ともすると、取材は相手におうかがいを立てて、聞きがちだけれど。取材する側が問題を作って、相手に問う方がおもしろいと思う。そうしないと、取材記事を読む方だって、しらずしらず、どこかに書いてあることを、また読むことになってしまうよね。

もっとも、取材を引き受けるばあい、ほとんど発注側から「こんなことを聞いてきてほしい」と言われるので、そのへんがさ、なんというかね。

ま、自分のウェッブサイトに取材記事を掲載していけば、自主的な問いは可能になるわなぁ。