未完成なりに

うまくいかないことを前提に設計されているインターネットはエライとおもうわけ。

たとえば、セキュリティなんて、そうでしょう。完全なセキュリティなどない。現状のOSもアプリも、そのうち破られてしまう。それを前提にして、善後策として、OSやアプリがアップデートされていく。ハッカーがセキュリティの穴をみつけるまで時間がかかるから、彼らが試行錯誤しているうちにアップデートしてしまう。

うまく理解できてないけれど、ビットコインのブロックチェーンの信頼性も、似ているんじゃないっけ?

前置きが長くなってしまったけれど、アバウトにやって、そのあとの対策を設計しておくことって、なにもネットだけでなく、ほかにも応用できるような気がする。

ついでにながら、蛇足です。それも大上段にかまえたことを言う。日本が社会や経済が停滞しているのは、ものごとを完璧にしようとししているからじゃないのかねぇ。未完成のままやってしまって、そのあとのフォローを考えたり、改善していったほうが、むしろ有効な気がするんだ。

TCP/IP

HTTP、FTP、TCP、IPは通信につかわれている略語である。いちばん末尾がPで終わっている。プロトコルのPである。

プロトコルは「約束ごと」と訳されるらしい。約束を守ることで、ネットワークにつながっている機器どうしが了解しあい、やりとりが行われる。

TCP/IP、についてである。

ネットにつながっている機器どうしで、データのやりとりが行われるさいには、まずお互い、IPアドレスなどの「ヘッダー情報」が交換される。ま、カンタンな自己紹介のようなものだろうネ。

そのうえで、文章、画像、映像といった、おたがいのデータのやりとりが行われるわけだけれど。データは、パケット(データは小さな塊)に切り分けて送り出され、受け取ったデータは元どおりに組み立てられる。

で、そのさいに、宛先にデータを送り届けるためのプロトコルがIPとなる。ただしIPでは、それがちゃんと送られているかどうか、チェックすることはできない。パケットが破損したり紛失したばあい、ケアもできない。それを行なうためのプロトコルはTCPとなる。よくTCP/IPといわれるのは、この2つのプロトコルによって、はじめてメールもブラウザーの閲覧も実現するからだろう。

まずTCP/IPに対応していることが前提条件であって。これからパソコンに限らず、タブレットに限らず、スマホに限らず、さまざまなデバイスが出てくるとおもう。いまはやりのI o T って、「TCP/IPに対応しているもの」というふううに、言いかえても良いと、おもったりして。

 

 

ポート番号

なにを設定するときだったかなぁ。うまくゆかなくて、サポートセンターに電話しまして。言われるままに所定のタブを開き、そのポート番号を入力したことがあったっけ。

どうやら、ポート番号のポートとは、もともと船が出入りする港の番号らしい。

といっても、ぼくは港になじみがないし、ましてやポートと言われても想像さえできない。

なので、ポート番号をマンションやホテルの各戸の部屋番号に置きかえてみる。あ、それなら、ちょっとイメージできるわ。

たとえば、パソコンでアプリをダウンロードしたまま、ウェッブサイトを見ながら、メールをチェックする。そのさいには、うまくいくように、別々のポート番号が割り当てられるのだそうだ(ホテルやマンションを例にとれば、それぞれ、ちがう部屋のドアが開放される)。

で、パソコンのスイッチを切ったときは、ポートはすべて閉じられる(すべての部屋は施錠される)。

一方、サーバーのばあいは、常時、開放されているポートがある。(ウェッブサーバーをつねに見られるように)HTTPで通信するときは、ポート80番が、(重要な個人情報を扱う際の)HTTPSを通信する際には443番が使用されているんだって。

鶴巻事務所のウェッブサイト(このウェッブサイト)は、さくらのサーバーを利用している。別途オプション料金が必要なHTTPSは利用していないけれど、ポート番号80は、つねに開放されているということです。

port

多崎つくる

『色彩のない多崎つくると、彼の巡礼の年』を再読している。もう少しで読み終える。

『多崎つくる』は、漱石の『こころ』から100年後の小説だ。両作品とも、御しがたい個人について描かれているとおもう。

『こころ』の中で先生は「私は明治の精神に殉死する」などと言う。前段では、先生と妻のあいだで、明治天皇と乃木希典の殉死について語られている。そこに、こだわってしまうと「明治の精神の殉死」について迷路に入ってしまう。たとえば乃木の傾倒した陽明学を知る必要があるとかネ。

でも、そのパラグラフを素直に読んでみると、先生は個人に終始し個人で死んでいった。そういうふうに読んで良いとおもう。しかも、個人を逡巡(しゅんじゅう)する感じがとても激しいんだなぁ。

個人の行き詰まりに答えなどない。漱石の『私の個人主義』(学習院大学での講演)で言っているように、個人それぞれが、何十年かかろうがツルハシを掘りながらカチンと鉱脈にあたるまで掘り続けるしかない。

一方「多崎つくる」は、恋人の(というよりメンターのような気がする)沙羅にすすめられ、過去の失ったものを、かつての友人と出会い、彼の中にストーリィを作ることで心持ちが穏やかに変容してゆく。漱石流でいえば、つくるのツルハシが鉱脈に当たったといえなくもない。ただストーリィを作ることによる救いと読み取れる「多崎つくる」は「こころ」から1世紀たち進歩したような気もするんだわ。

つくるは名古屋で、高校時代、仲良しだった友人たちに会い、さいごにエリ(クロ)の嫁ぎ先のフィンランドに行く。ハリーメンナの湖畔のサマーハウスでのつくるとエリの会話は、とても好きなシーンだ。

今回読んで気づいたのだが、つくるはストーリィを作ることで自分を取り戻していくのだが、一方でつくるにストーリィを語ることでエリも救われていくんだなぁ(前回読んだときは、エリの思いをスルーしていた気がする)。

さらに、このかんじはレイモンド・カーヴァーの『ささやかだけれど、役に立つこと』(A Small,Good Thing)のラストのシーン、アンとパン屋の会話を思い出させた。

あきたスマホ

パソコンもタブレットも売り上げが落ちている。それだけではない。スマホも伸び悩んでいる。

といってもスマホをやめる人は少ない。すくなくとも、ぼくのまわりには、いない。

スマホの売り上げ減は、今までなら、新しい機種が出たら買いかえる人が多かったのに対し、現在は、使えるまで使って、不都合になったら買いかえる人が増えてきたからだとおもう。

ガラケーは、半分バカにしつつ、半分バカにしていない。

レコードやビデオなど、なつかしいものを使っていても、それは本人が好きでやっていることだから、ま、それはそうである。ただ、ガラケー / スマホは他とつながり合っている。なのでスマホ・ユーザーからすると、イラつくことが、ままある。ガラケーをバカにしているのは、この点である。

それに対し、「電話とメールで十分」というガラケーの人の言い分には説得力がある。

だって、個人的にいえば、いままで300くらいアプリをダウンロードしているんだぜ。ネット上のプラットフォームを試すために登録したIDとパスワードは50個以上ある。なのに、じっさいに使っているものとなると、もう、さみしい限りである。もう、ガラケーで十分だわって…あっ、口がすべっちまった。

ま、要は、スマホは意外につかえないことがバレてしまったわけネ。

あきられてきたスマホは、たとえば家やクルマのキーになったり、外部に拡張していく。ぼくはそう見立てていて。じっさいに、そういうものは出てきているけれど、それもずいぶん、ゆっくりだよねぇ。

次世代のAppleWatchに、ちょっと期待しているかな。

事実は、ない

学術的な歴史の書籍を読むのは、忍耐を強いられる。

書く方は間違いがないように様々な書物をひもとき、慎重に書いているけれど。読む方にとっては、どうも、骨が折れてしまう。

といって、読みやすい歴史小説では、ストーリィに創作があるのではと思ってしまう。

いや待てよ、そもそも学術的な歴史書は事実と言えるのか?

いったい、事実とはなんだろう。

オッケー。自分に引き寄せて考えてみよう。たとえば、取材をする。聞き方によって返ってくる内容は、当然ちがうだろう。

取材を受ける方も、自分の置かれている立場、聞いた場所、それに体調により、内容はちがうかもしれない。

それなら、いっそ、取材をもとにストーリィを作り、のちほど、取材させてもらった人に了解を得ることができれば、それが事実であると言ってみたいような気もする。

話はそれてしまうけれど、ネットで記者会見を見ていると、その席の前にいっせいにICレコーダを置く映像が流れたりする。会見を聞きながら、記者たちが一心不乱にパソコンのキーボードを打っていたり。そういうのを見ていると、オレ、突っこみたくなるんだなぁ。

 

 

オープンとクローズド

ネットのプラットフォームは、オープンを前提にしたものと、クローズドを前提したものがあるでしょう。

前者のイメージはグーグルだ。それは、Googleの検索エンジンが検索の代表だからだろう。世界中の開かれたウェッブサイトから検索されてくるわけだから。

それに対して、Facebookは後者だろう。Facebookというプラットフォームだけで完結しているからさ。

そもそもインターネットは、1969年のUNIXとTCP/IPがその起源らしい。(うまく説明できないので、その理由の詳細は省くけれど)その点に立脚すると、ネットはオープンを指向していくような気がする。

でもFacebookやLine、それに最近のInstagrmやSnapcahtのイキオイに接すると、ひょっとすると、クローズドのプラットフォームの方が主流派になるような気がしなくもない。

ま、いずれにせよ、片方がなくなることはない。混在していくことは、たしかだわ。

突破の果実

明治という時代は、さいしょから版図があったわけではなさそうだ。やっていくうちに江戸の封建社会では輩出されなかった人材が登用され、彼らの、当時では想定外の施策が実行されていった。

たとえば、何百年も続いた藩をいったん天皇に召し上げる版籍奉還という大胆な発議は、伊藤博文である。ちなみに版籍奉還のあと、廃藩置県で藩から県に再配置されたのは、周知のとおりである。

円をとりまとめたのは大隈重信だ。

江戸時代、東日本は大判、小判といった金貨、西日本には匁(もんめ)という銀の重さで価値を計る銀貨が流通していた。明治のはじめには、まだこの金貨・銀貨が流通していたし、

さらに明治新政府が鳥羽伏見の戦いのあとのイクサのために、戦費の不足のために急こしらえした天保通宝、光岡八郎の発議による太政官札、藩札、それに天保通宝の贋金など多くの貨幣が混在し、流通していた。

それを円、銭、厘にとりまとめたのが大隈重信だ。大隈イコール早稲田の創始者となりそうだけれど、円の創設も偉業だよなぁ。参考までに、大隈は佐賀藩の鉄砲方の息子である。

個人的には江戸時代は好きだ。そのまま続いていてくれたら面白かったのに、と思わなくもない。

でも、もし各藩主のご先祖さまのご威光が末裔(まつすえ)に引き継がれる時代が続いていたなら、どうだったろう。海外の諸事情の変化に対応できないどころか、西欧にイニシアチブをとられ、もっと、きゅうくつな日本になっていたかもしれない。

そう思うと、三条実朝や岩倉具視といった公家さんや、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允といった倒幕に打って出た人たちの行動は、評価できるのかもしれない。江戸封建社会の突破により、明治創生期は、家柄でなく、能力のある人がしかるべきポジションにつけたんだろうからサ。

安心感が先

金融機関の日銀の当座預金の付利がマイナスになり、その余波で、預金者の預金から金利分が差し引かれることはないだろう。でも、名目を変えて、預金手数料がとられるということは、ありそうだ。

逆はどうだろう。預金ではなく借入れのばあいネ。

お金を借りたら、金利分がもらえる。これは、さすがに、ないでしょう。

じゃ、イメージとして借入に対して金利分がもらえるとしよう。でもさ、それでも元金は支払っていかなければならないじゃない。あたり前だよねぇ。

要は、世情が不安的で、この先、お金を払ってけるかどうかという不安感の方が、金利云々より先立っているという。そんなことを言ってみたいわけ。

いくら日銀が金融機関に貸し出しのインセンティブを促しても、その先の、たとえば設備投資や住宅購入は、思ったほど進まないと思うんだなぁ。どうだろ?

クレジットについて

官軍がどの時点から新政府となったのか、ぼくは知らない。かりに鳥羽伏見の戦いの勝利からだとしよう。

新政府は、鳥羽伏見の戦いのあとも、抵抗する藩と一線を交わらせなくてはならなかった。戦費が必要だった。

ある書籍によると、戦費は三井といった両替商が引き受け、不足したぶんは、急きょ天保通宝を鋳造したそうである。

幕末になるに従い、幕府の発行するお金の質は落ちていったことは、よく知られているけれど、新政府の発行した、この天保通宝はそれ以上の悪貨だった。

悪貨はニセ金をまねく。

とうぜん、ニセ金をつかまされた人は怒る。それによる暴動も起きた。外国の商人もクレームをつけた。

それに対し、新政府は外国人には正貨と交換することを約束し、日本人には太政官札という札と交換した。

江戸時代は、東日本では金貨が流通していたし、大阪などの西国では銀が匁(もんめ)という重量で流通していた。なので太政官札という紙をもらっても、なんとなく、なじまなかっただろうよ。

さらに樹立したての、というか、鳥羽伏見の戦いには勝ったものの、その後の各地の戦況次第でどうなるか分からない新政府が発行した紙幣では、不安感が助長されたに違いない。

以上、思うままに書いてみた。書いているうちに、お金は信用に裏打ちされていなくっちゃね、という感じが、ちょっとだけ、つかめた。

(イマイチ仕組みがよく分からないけれど)ビットコインを支えるブロックチェーンは技術的にすぐれているそうである。ただ、技術と信用は、まったく違った相であって、普通に使われるようになるのは、まだまだ先のように思える。

もっとも、金融機関は信頼されているわけだから、各行がブロックチェーンの仕組みを取り入れていくことはアリだと思うし、NewsPicsといったネットのキュレーターによると、すでに金融機関は動き出しているみたいよん。