ティール糸井対談

 

ピーター・ティールの講演がある。そのあと、コピーライターの糸井重里さんとの対談が予定されているだって。(2/20 18:30〜20:00 六本木森ビル)

http://www.academyhills.com/school/detail/tqe2it00000oygve.html

糸井さんは、だいぶ知られていると思うけれど、一方のピーター・ティールって、どのくらい知られているのかしらん。

個人的なことを言えば、ぼくは、紀伊國屋新宿店でたまたま見つけた『ゼロ・ツゥ・ワン』で、その名をはじめて知った。

この本には、数学的な例えで、1からnに対して、0から1を作る意義が語れれている、

といっても、読んでいない人には、なんのことか、さっぱし分からないよネ。はいはい。いい機会なので、まとめておきましょう。

1からnは、既存の製品などをコピーしていくこと。マクロレベルでいうと、既存の成功例が他の地域にも広がってゆくグロバリゼーションとなる。例えば中国がその代表例である。

それに対して、0から1は、それまで誰もやったことにない何かである。当然、今までにないものだけに、想像するのが難しい。

『ほぼ日刊イトイ新聞の本』の中では、糸井さんはクリエイティブの重要性を説いていたように記憶するけれど。ティールの0から1と、糸井さんのクリエイティブがイニシアティブをとる大切さが、どこか、つながっているように思える んだなぁ。ま、とにかく、おふたかたの対談、楽しみにしてまーす!

読書のコツ

漱石は、『世界的青年』(第一巻第一号 / 明治三十九年九月一日)に、『余が一家の読書法』という一文を寄せている。本の読み方について、2つのポイントが書かれている。

 ひとつめ。

本の内容にこだわるより、むしろ、本から受ける暗示こそ大切である。本文の言葉を借りれば「内容以外に何等の新思想や新感想を胎出すべし」ということになる。それは、たとえ本を読了しなくとも、暗示を受けたことがらを、まとめてみると良い。単なる多読は、バカ者である!

 ふたつめ。

ある本とある本の、ばくぜんとして見逃しがちな共通点は、看破すべきである。ただし、意識的に関係を見出そうとすると、形式的・機械的になり、読書が面白くなくなるし、自分の考えに流されがちでもある。「箱庭的」になる。

不案内な言葉を読むコツ

 

なじみのない言葉で書かれている本を読む場合、ポイントがある、らしい。敬愛する夏目漱石と本居宣長は、指摘する。

 

 まずは、漱石から。(『現在読書法』/ 『成功』十巻一号 明治三十九年九月十日 / 『漱石全集 第二十五巻 岩波書店 収録)

 「英語を修むる青年は、ある程度まで修めたら辞書を引かないでむちゃくちゃに英書をたくさん と読むがよい。少しわからない節があって、そこは飛ばして読んでいっても、どしどしと読書し ていくと、ついにはわかるようになる。

また、前後の関係で亀了解せられる。それでもわからな いのは、めったに出ない文字である。要するに、英語を学ぶものは日本人がちょうど国語を学ぶ ような状態に自然的慣習によってやるがよい。すなわち、いくへんとなく繰り返し繰り返しする がよい。ちと極端な話のようだが、これも自然の方法であるから、手あたりしだいに読んでいく がよかろう。

かの難句集なども読んで機械的に暗唱するのはまずい。ことにあのようなものの中 から試験問題などを出すというのはいよいよつまらない話である。なぜならば、難句集などでは 一般の学力を鑑定することはできない。学生の綱渡りができるかいなやを見るくらいなもので、 学生も要するにきわどい綱渡りはできても地面の上が歩けなくてはしかたのない話ではないか。

難句集というものは一方に偏して、いわば軽わざのけいこである。試験官などが時間の節約上、 かつは気のきいたものを出したいというのであんなものを出すのは、ややもすると弊害を起こす のであるから、かようなもののみ出すのはよろしくない。

 

 本居宣長は、こうアドバイスする。(『うい山ぶみ』より)

 「文義の心得たがきところをはじめより、一々解せんとしては、とどこほりすぎて、すすまぬことあれば、聞こえぬところは、まのままにして過すぞよき。

殊に世に難き言にしたるふしぶしを、まづしらんとするは、いといとわろし、ただよく聞こえたる所に、心をつけて、深く味わうべき也。

こはよく聞こえたると思ひて、なほざりに見過ごせば、すべてこまやかなる意味もしられず、又おほく心得たがたひの有て、いつまでも其誤りをえさろらざる事有也。」

できることが広がる

たとえば、クルマの運転、ね。カーナビを利用すれば、行ったことのない場所まで行けるし、最初はカーナビでサポートしていた道順も、慣れてくれば、カーナビに頼らなくても行けるようになる。

 料理も同様だ。クックパッドを利用することで、いろいろな料理を作るようになる。で、そのうちのいくつかは、同アプリを見なくとも作れるようになる。

 要は、デジタル情報をうまく活用すれば、できることが広がるわけね。

私の物語

もはや、常識や規範や倫理観(大きな物語)は、ない。そのような中で、ある出来事にぶつかった時に、人は素直に対処することができない。それは、澱(オリ)のように溜まってゆき、潜在的な影響力を持ち、その人の内面を蝕んでゆく。かろうじて、それに対処するには、出来事のあと、その人なりの象徴的なストーリィ(私の物語)を作っていくしかない。「女のいない男たち」(村上春樹)を読み終えて。

Fotollia

ベクター系のアプリは、何を使うか。

その評価を行なうために、Illustratorの「1か月お試し版」で、遊んでみたんだっけ。

ま、それは、いいんだけれど、このお試し版を申し込んだおかげで、ブラウザーを立ち上げるたびに、「AdobeIDログイン画面」が立ち上がって、ウザいのだ。

で、立ち上がらないようにAdobeのウェッブサイトを見てみたところ、気が変わった。

「Fotolliaがアドビの一員になりました 3500万をこえるロイヤリティフリーの画像やビデオを提供するFololliaがアドビの一員になりました」だって。

へー。

じっさいに、いくつか用意されているメニューから、10枚までダウンロードできる「最小クレジット10」を利用してみた。1850円。1枚あたりの写真やイラストの利用料は、185円なのだ。これじゃあ、イラストレーターやカメラマンは、あがったりだよなぁ。。。

えーと、ちなみに、現在の、このウエッブサイトの、ネコヤナギのヘッダーの写真は、Fotolliaからダウンロードしたものです。

(米)ペーパーバックより電子書籍? 

 友人との待ち合わせまで時間があったので、紀伊國屋新宿店の店内を歩いた。

まずは新書コーナで目を引いたタイトルの本をめくってみた。そうしているうちに、当時読んでいたピーター・ティールの「ゼロ・トゥ・ワン」の原本はどんな感じなのか思い立ち、洋書コーナのある階まで確かめに行った。

値段は高い。消費税を入れれば3000円くらいだった。日本語に翻訳された本の方がなぜ安いのか。だってさ、

翻訳料を勘案すれば、日本語版の方が高くても良さそうじゃない。そのことを友人に話したら、「そもそも洋書というのはペーパーバックに比べ、ハードカバー系は高いんじゃないかなぁ」、

ということで、ハナシは変わる。ペーパーバックというものは、日本でいえば、わら半紙のような感じである。すぐ、よれよれになってしまう。

日本に比べ、アメリカでは電子書籍が読まれるのは、「ペーパーバックを買うなら電子書籍でいいや」という感じじゃないかなぁ。日本の文庫本は紙の質もいいし、ポケットに入るという。この良さが電子書籍の普及に至らない、ひとつの要因なんじゃない?

「ZERO to ONE」

 

いま「ZERO to ONE」(ピーター・ティール)を読んでいる。どこで、この書籍を知ったのかというと、NewsPicksでホリエモンが、本書をテーマに対談していたからだ。

ペイパルは、イーロン・マスクが立ち上げた事業だと思っていた。がしかし本書によると、このサービスは、著者が起業したコンフィニティが始めたものらしい。

当初、イーロン・マスクは、Xドットコムで同様のサービスを展開し、両社のあいだで、鮮烈な競争が繰り広げられていた。しかし2000年に入ると、ネットバブルが弾け市場が崩壊し、共倒れしてしまうのを恐れて、ピーター・ティールとイートン・マスクの話し合いのもと、両社は合併した。これが真相のようだ。

本書では、他の事実にも触れ「競争はけっして良い結果をもららさない」と言ってるんだなぁ。