一方、自分の手足でやっていて

日本学術会議が話題になっている。

どうやら本会員に選ばれると、公務員となり、それなりの手当も支給されるようだ。

国のお墨付きの学者というと言い過ぎだろうか。

個人的には、本居宣長なり、吉本隆明なり、国によらず思想を深めていった人が好きである。

たぶん現在より明治の方が、学者をはじめ、官に引き寄せられる人は多かっただろう。

それに対し、福沢諭吉は私学を貫いたし、渋沢栄一は(一時的に官に仕えていたものの)退官したあとは民間にて、日本を代表する株式会社を設立した。

夏目漱石は、東大の先生をしていれば安泰なのに、それをなげうって(朝日新聞の社員にもなっていたけれど)作家になった。博士も断ったんじゃないかな。

ちなみに福沢や渋沢栄一は、私(わたくし)の立場にいても悠々としていたが、漱石は、とうじ国民的作家でありながらお金のことを心配し続けていた。

ま、いずれにせよ、国に頼らず、学問なり事業をした人は偉いと思うわけで。

諭吉と漱石

福沢諭吉は「独立自尊」、夏目漱石は「私の個人主義」である。

似たような旗印が立てられている。がしかし二人の印象は、ずいぶん異なる。

その違いは、どこにあるのか。これは、あくまでも仮説だ。

ひとつは、世代の違いから来ている説。

福沢は1835年(天保5年)に誕生し、一方の漱石は1867年(慶応3年)に生まれている。32歳、誕生月まで勘案すると、福沢の方が約33歳年上となっている。親子ほどの年齢差がある。

福沢はもちろん、加藤弘蔵、西周といった同世代の人たちは、西欧の、日本にはないコンセプトを日本語に考案していった。

権利、観察、実験、経験、実証、倫理、論理、演繹、宗教、自由…

自分たちの創作した言葉がご本尊のようなものなので、その点、彼らには悩みが少なかった、

と言いたい所がけれど、漱石は英文をものすごく読めた人のようだし、日本語のボキャブラリーも多いので、先代の案訳とは違う日本語にしたり、漱石の時代の西欧の新しいコンセプトを自ら日本語にしても良さそうなわけで..この線は、ちょっとなぁ…

福沢諭吉はドシドシ、西欧の書物を翻訳していった。(失礼ながら)機械的に翻訳していったのかも知れない、ジュンヌは、社会や経済についてではなかっただろうか。

一方の漱石は、(福沢は3度西欧に長期滞在しているけれど)イギリスに留学し生活した体験を持っている。研究対象は文学だった。この違いから来ていると..前述に比べたら、こちらの方が良い線っぽいですかねぇ。

もうひとつ、両人の幼児体験や性格によるものという説もある。

評論家の吉本隆明は、漱石の幼児体験は不安定だったと指摘している。

一方、福沢諭吉のそれは「福翁自伝」を読めば分かる通り、家族が仲良く調和が取れていたようだ。

性格については、両人の著作を読めば、一方は大らかで、一方の(とりわけ「こころ」以降の漱石の)繊細さは、その行間から読み取れる。

まだ書き足りないけれど、本日は、これくらいで〜

同調圧力

革命というと、なにやらイサマシイ感じがするわけで。

革命とは「孟子」にみられる熟語である、というのは、当てずうぽうに言っていて、合っているかも知れないし、間違っているかもしれない。

Netflixで、ロシア革命の時代を描いたドラマを観たことがある。

ロシア皇帝は幽閉され、皇帝一家は暗殺されたけれど、月日が経ち、奇跡的に残った(かもしれない)皇女が発見されるというストーリィだった。

ジョージ・オーウェルは大好きな作家だ。「パリ・ロンドン放浪記」という手記がある。

タイトル通り、オーウェルはパリとロンドンを放浪している。

その際に、オーウェルは、ロシアでかなりの地位にいたが、革命によりホームレスになった人と出会う。

この2例だけで言ってしまうのも、かなり強引だけれど、革命というのは、社会の上と下の勢力が引っくり返るほど、強烈な運動だと思ったりもする。

それに比べ、日本はどうだろう。

大化の改新であり、明治維新であり、革命という言葉は使われていない。

福沢諭吉の伝記によると、幕末の、佐幕派の武士の多くは、数年たち、明治政府の役人として仕えている。

自分で手を上げて入省し、明治政府も、それを認めただろう。

第二次世界大戦では「鬼畜米兵」とか言っていたらしいけれど、終戦を迎え、日本は親米になったりして。

そう言えば、白洲次郎は「プリンシプルにない日本」って言っていたなぁ。

西欧のように、社会の上下が引っくり返るようにはならなかったのは、日本人の、このプリンシプルのなさが、ひとつの要因かも知れないけれど、

一方では、「同調圧力」は最近のキーワードのひとつ。