理解の境界線

時間をみつけては、機械学習のチュートリアルをやっている。

英語やプログラミングがそうであるように、機械学習も、かなりの学習コストが必要だ。

それだったら、はじめっから、やらない方というのが、ひとつ。

ただ、やることで、なにかが変容しているというのも、ひとつ。

費用対効果を考えたら、前者の方が良い感じだったりする。

で、その区別の、ひとつの指標は、どこまで深くやることだと思う。

違う視点で言えば、

「どこまで、じぶんなりに出来て、どこから先はお金を払ってまでも、ほかの人にお願いする」という視点なんだわ。

文章にはない見晴らし

マーケティング用語を、どかでバカにしていた。

でも、いまとなっては、それをパスしていたせいで、うまく判断できてきなかったことも、多々ある。

トランザクション・コストは、取引にともなうコストだ。

じぶんなりに、そのような感じは、なんとなく、わかっていた。

ただそのアプローチは、文章を読んだり書いたりするように、同じ地べたを、よろよろ歩くような、そんな感じだ。

トランザクション・コストのコンセプト(抽象化されたコトバ)を利用すれば、違う視座からものごとを見渡せるし、

さらには、もうひとつの抽象化されたもの、数字を活用できれば、文章を読んだり書いたりすることでは、たどり着き得ないような風景が見晴らせるようになってきたりする。

文系、理系という言い方をする人がいる。

あえていえば、文章に頼ろうとする人を文系、数字の人を理系と言っているのだろうね。ま、個人的には、そもそも、そのひとが、やっているんだから「文系、理系の区分など、ねぇだろう」と思うけれど。

FinalCutPro

Final Cut Proが試用期間を終える。

その雑感。

iMovieと比べ、
たとえば、処理と品質をどちらを優先させるか(ビデオコーデック)、解像度(4Kまで対応可)といった、保存する際の細やかな設定ができる。

ダッシュボードで、プロジェクトの複数のライブラリやイベントが一覧できる。この点、複雑な編集が可能だと思う。

編集内容は、映像、音源、文字がレンダリングされるおかげで、スムーズに確認できるそうだ。

けれど、そのために編集作業の際に、どんどんデータが保存され、ストレージが圧迫される。

こちらは、なにもFinal Cut Proだけではないみたい〜