折りをみて、チベット仏教の書籍を読んでいる。正確にいえば、チベット仏教というより、ダライ・ラマの書籍と言った方がよいだろう。

ものには実体がない。機縁があるだけである。猊下の書籍には、たぶん、そのようなことが書いてある。

抽象的な言葉どもと言うものは。

辞書を引いても、説明の字づらしか読めない。自分なりに補助線を引いてみる必要がある。

では、機縁とは、なんだ。

因果関係であり、さらに、それは一定ではない。絶えず変化しているものだとおもう。

絶えず変化していると書いてしまうと、時間のニュアンスが入ってしまうけれど。ほんらい時間もないわけネ。もちろん空間もない。

現在、雑誌というものを購読していない。昨年までは「Wired」を楽しみにしていた。

しかし、「Wired」日本語版の発刊は、昨年末で幕を閉じている。

「Wired」というのはテック系の雑誌で、ケヴィン・ケリーらにより発刊された雑誌だ。

 話題作「<インターネット>の次に来るもの」で、その名を知った人もいるだろう。

同書の「はじめに」では、「製品はプロセスになっていく」旨が書いてある。抜粋してみよう。

「常に流れているということは、単に「物事が変化していく」以上の意味を持つ。つまり、流れの原動力であるプロセスの方が、そこから生まれる結果(プロダクト)より重要なのだ。(中略)今後30年で形のある自動車や靴といった物は手に触れることのできに動詞へと変化していくことになるだろう。プロダクトはサービスやプロセスぬなっていくだろう。テクノロジーを高度に取り込んだ自動車は交通サービスに変わり」

テクノロジーのもたらす未来と、チベット仏教的なことは、なんとなく似てくるんだよなぁ。