感想(上)より抜粋

「仮説は、最初に直感されている。碁や将棋の達人が。先ず先手を直感し、これに長い忍耐強い読みがつづく様なものだ。

直感から分析への道は開けているが、分析から直感へ達する方法は一つもない。これはベルクソンの思想の根本的な考えである。

直感と分析は異なる。それは、物の知り方に二つの別種の方法がある事を語っている。

一つは、共感によって、一足飛びに物の中に入り込み、物と一致するやり方、

もう一つは、物の周囲を廻って、物を観察する視点を求め、これによって物を表現する符号を工夫するやり方である。

物の運動を外から眺める場合、私の視点が動いているか、動いていないかに従って、私の運動の知覚は異なるだろう。

私が、物の運動に関係させる座標に準じて、つまりその運動を翻訳する為に私の使う符号に準じて、私は異なった言い方をせざるを得まい。

以上、二つの理由から、私の認識は相対的なものに止るだろう。

だが、私は又、私の経験に照らして、物の運動にあたかも、心情の動きに同感するが如く同感し、その物の中に、想像の力で、入り込むことが出来る。

物の動きが変ずれば、それに準じて、まさしく私の感じは変ずる。

私の感じは、私がその物のうちにいるのでから、物に対して私の取る視点は依存せず、私は、その物を掴み、その翻訳は全く断念しているのだから、翻訳の為に使う符号にも、私の感じは関係ない。私の得ているものは、物の絶対的な動きである。私が、現に感じているあるがままの物の動きが、あるがままに完全であり、絶対的であるのは、ある詩の魅力が、直感されるままに完全であり、絶対的であるのと同じことだ。」

(「小林秀雄 全作品集 別巻1 感想(上)」p68〜69)

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公開まで、やや時間がかかりまーす!