ベルクソンは、いままで、なんども読もうとしては、あきらめていた。
また、しつこく、読もうとしている。
すくなくとも、従来よりページがすすんでいる。新記録。
「オレの感じていたことは、あ、こういうことだったんだ」と思ったりもしている。
たとえ、じぶんなりに、それについて書いても幼稚な文章になるだろうし、ベルクソンの、もう、それしか書きようのない文章に、また、いいもんだなぁと思っている。
ベルクソンは純粋経験を言う。
純粋経験は、たえず流動している。
意識した時点では、もう経験が先に行っている。
科学が分析により発展するために、記号が使われる。それは固定した要素を取り扱っている。
分析の中でもベルクソンは微分を評価しているが、それでも微分は、純粋経験の表徴だ。
…なにやら、むつかしくなってきたけれど、流動している感じ、オレ、そうだと思うんだなぁ。