「哲学町直観」

ベルクソンの「哲学的直覚」は良書だとおもう。

長くなるけれど、以下、抜粋しておこう(改行は僕がやっています)

「哲学と科学という二つの認識方法が存在するのは、経験が二通りの仕方で現れるからです。

一方では経験は、事実に並列して出てくる事実。だいたい似た形で繰り返され、だいたいとところ計算可能であり、ついには判明な多様性と空間性との方向へ展開される事実という形をとります。

他方、経験は、法則や軽量を許さない純粋持続の相互浸透という形でも現れます。

いずれの場合にも、経験は意識を意味します。

ただし前者の場合、意識は外へとひろがり、物を互いに外的だと見るに応じて、みずから自分自身に対して対立的になっていきますが、

後者の場合、意識は自己のうちに帰り、自己を捉え直し、深めてゆきます。

意識がこのように自己を深めてゆく時、意識は物質と生命と実在一般との中にも入り込むことになる、と言ってはいけないでしょうか。

意識が物質に付け加えられた一つの偶然にすぎなかったならば、右のように言うことは不可ということになりましょう。

(中略)

私たちは、私たち自身の内部へ降りてゆきましょう。

私たちが触れる点が深ければ深いだけ、私たちを表面へ押しもどす力も強いでしょう。

哲学的直観とは、この接触であり、哲学とは、この躍動なのです。

「哲学的直観」p101〜102 三輪正 訳/ 中央公論新社)

気づいたことを、お気軽に。
公開まで、やや時間がかかりまーす!