まず基本的な認識について話そう。
これは西田幾多郎、アンリー・ベルクソンの著作により得た認識となる。
両氏の論旨はとても難解で、ベルクソンに関しては、フランス語から日本語に訳されていることが、その難解さと関係していると思ってもいる。
(そもそもフランス語から日本語訳というのは、難しいんじゃないかなぁ)
なので読み違いの可能性は十分すぎるほどあるけれど、その読み方は読者本人のものだ。この際、それはそれでいい、と割り切ってしまおう。
人はハッと直感する。それは、とてもシンプルだ。
けれど、直感の一刹那の直後から、その対象はどんどん広がっていき、とりとめもなってゆく。
その、とりとめもなくなった対象を、過不足なく認識するのは、もはや不可能だ。
それでも、人は、なんとか認識しようとして、対象を抽象化していく。
ちなみに対象の抽象化は、スマトラトラやマウンテンゴリラなど、人以外の動物には、出来ないんじゃないかなぁ。イルカならやってそうな気がする。なんとなく。
ま、それはさておき、言葉は十分に抽象的である。数字も同様だ。数字を使った物理や科学、それから会計や統計も抽象的だと言ってよい。
統計のおもしろさは、対象の全体は分からないけれど、その中から、データを抽出してモデルを作り、全体との誤差を計算するところにある、と思う。
いま流行りの機械学習(AI)も統計と同じアプローチだ。
ま、いずれにせよ、とらえようのない対象に、抽象化により果敢に認識しようとするのが、人なんだわ。