仏教のキーワードは、空でしょう。
ただし空は知識でなく(何十年も瞑想して得られる個人的な)体験だとおもう。
なので空は言葉には表し切れないし、また空から派生したようなコンセプトさえ言葉では語り切れない。受け手にも伝わり切れない。
たとえばダライ・ラマの唱える利他主義、そして親鸞による「悪人正機」がある。
親鸞は歎異抄の中で、人間は(人間にとっての)善悪とは無関係に、機縁さえあれば、大量の殺人さえ犯してしまうと言っている。
他力の位相からみれば、善よるむしろ悪の方が救われるとも言っている(ただし、自覚している悪は自力が働いているので、その限りではない)
そして、この説は当時の弟子たちに大きな誤解や混乱を招いたとされる。
ま、いずれにせよ、浄土真宗は理路として、空から正機をたどれると思うけれど、念仏と浄土の関係は仏教というより、浄土ならではユニークな思想だとおもう。
とくに親鸞は浄土宗を祖述し、親鸞ならではの日本に合った(鈴木大拙によれば日本的霊性が顕れるような)浄土真宗を創造した。
ただただ信じて「南無阿弥陀仏」と唱える。それに対して阿弥陀仏は、信頼してくれた衆生が浄土に行けるように願う。願いがかなわなければ阿弥陀仏は悟りをあきらめるとまで。
平安末期から鎌倉時代は、地震や津波、疫病や大飢饉が頻発した。もちろん現在のように、たとえばたとえば新型コロナに対するワクチンといった科学やテクノロジーは存在しなかった。
また自力による他者への慈しみは現世的であるため中途半端に終わるしかない。
浄土という位相による救済は、とりわけ当時は有用だった。
そればかりか、現在とは比べものにならないほど、救済は深かったようにおもう。