「ドライブ マイ カー」のタイトルは知っていた。原作の村上春樹の小説も読んでいる。
同作のアカデミー賞候補が話題になった。フロントガラス越しにクルマの前席に座っている二人のサムネールを見た。運転席の女の子の顔が目を引いた。久しぶりに映画館に行こうと思った。
前半は、劇場まで来たことに後悔したりもした。しかし舞台が広島に移り、その、気になる顔の女の子が現れ、物語が進むにつれ、知らずしらず映画に引き込まれていった。三時間の上映も気にならなかった。
人には一般はないと思う。
もっと言えば、現在の僕たちは失いながら生き続けなければならない。それに反して、僕たちは一般があると思いがちだ。ここで「人には一般がないと思う」と言うのは、そういうロジックだ。
「ドライブ マイ カー」は村上春樹の小説をほとんど読んでいる人に、おすすめすることが出来る。場面場面で、そして全体を通して村上作品が思い浮かぶから。
ドライブで広島から北海道へ。彼らの心は失ったものを回復しようとする。「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」のように。
死者からの引き継ぎは「海辺のカフカ」が思い浮かんだし、そのほかにも村上作品について、あげることが出来そうだ。
脚本を書いた方は、よほど、村上作品を読み込んだに違いないと思いつつ、きのうNewsPicsで掲載されていた同作品のインタビュー記事を読んでいて、いちがいに、そうでないかも知れないと思ったり。