「グレイト・ギャツビー」が好きだ。
冒頭と最後の文章は、なんど読んでも素晴らしいと思うし、なによりギャツビーのイノセンスが大好きである。
そして「ギャツビー」だけでなく、日本に比べて、アメリカの小説は圧倒的にイノセンスなかんじが多いというのが、ぼく個人の意見である。
日本に比べてと書いてしまったが、そもそも日本にはイノセンスに対応する言葉がないとおもう。したがってイノセンスそのものがない。
そのかわり日本には、もののあわれがある。
昨夏、近松門左衛門を読んだ。
とくに、「冥土の飛脚」と、一般的にその名が知られている「曽根崎心中」はとても良かった。読んでいるうちに、この感じ方は、もののあわれかも知れないとおもった。
思っただけで、これが、もののあわれかどうかは自信がない。
これは、もののあわれだよ。そう言えるためには、「源氏物語」をぜひ読む必要があるだろう。そうおもいつつ、さすがに、能力的にも時間的にも読めないよなぁ。