いちおう、グーグルの新技術の発表会(Google I/O)をチェックしてみた。
ぜったい、つかってやるぜ。そうおもった技術がふたつあった。
ひとつはグーグルレンズである。
まどろっこしくなってしまうけれど、まとめておこう。
こういうシチュエーションを一例にあげ、紹介されている。
たぶん、大阪かなぁ。
海外から来訪した人が街を歩いている。すると、街角から美味しそうな匂いがただよってくる。看板がたっている。異邦の人にとっては不明である。看板にグーグルレンズをつかう。看板の文字は母国語に翻訳され、しかも、その匂いの実体も説明され、かくして、たこ焼きについて知るところとなる。
そのほかにも、使用例として、散歩中の気になる店をグーグルレンズし、その店の評価を読んでみたり、
カフェのQRコードをレンズし、自動的に、カフェにそなえてあるWifiにつながる場面も紹介されている。
経験則でいえば、こういうのって、時間がたつにつれ、思いもつかない使われ方が出てきたりするもんだよねぇ。
で、この発表会で、もうひとつ気にいったものがある。グーグルホームだ。
すでにアメリカでは普及しているグーグルホームが、夏には、日本でもリリースされる。いよいよ日本語でも対応できるようになる、というわけネ。
つかい方は、こんなかんじ。
まず、ユーザーが話しかければ、返してくれる。疑問にも答えてくれる。指示すれば、たとえばモニターに、見たい映像をYouTubeしてくれる。もちろんSpotifyからのお気に入りの音楽もOKだ。
しかしサ、このことを、俯瞰(ふかん)してみると、グーグルは人間が持つ六感のうち、視覚と聴覚を手に入れた感じになるでしょう。脳に該当するのは、グーグルのクラウド上にあるAI(人工頭脳)だ。
ぼくのまわりでも、AI化は「こわい」とか「人間がダメになる」という人がいたりする。それについて、ぼくの反発する気持ちをもっている。ただし一方で、それはそれで分かる感じもある。
グーグル化が進めば、究極的には、人は脳を使わなくても良くなってしまう。グーグルのAI側からみれば、ひとは、ただの端末である…と、このさい、あえて言ってみよう。
ディストピア的なSFでいえば、「攻殻機動隊」や「マトリックス」の世界観になるんだよなぁ。