こたつ台のうえに、ミカンをおいてゆく。ぱっとみて、いくつまで認識できるかなぁ。

個人的にいえば、3つか4つ、それ以上はグレーゾーンで、さらに、それ以上になると数えなきゃならない

はい、つぎネ。

個人的ではない例を、引きあいにだそう。

漢字は、一、二、三というふうに、マッチ棒をヨコに並べたような文字になっている。

それ以降の四、五、六…となってくると、見たままの表記になっていない。

むつかしいコトバで言えば、抽象的になってくる。ローマ数字も、算用数字の原型も、同様である。

この事実を引き合いに、ひとの直感的な数字の認識は3つまでであるという説があるんだねぇ。

ちなみに、『UNIXという思想』は、ぼくにとって示唆に富んだ書籍でありまして。

そのなかには、ひとが同時期に処理できるのは、3つまでという一文があったりする。

オッケー、じゃあ、ひとが同時に分かること、処理できることは3つまでということにしよう。

では、それ以上、さらに、もっとそれ以上のモノゴトはどう理解したり処理したりできるだろう。

ぼくは、その方法論が数学の、たとえば微分・積分だったり、コンピュータの関数をつかったプログラムだりするとおもう。いわば、抽象的なことは、抽象的な方法でアプローチしていこう。まぁ、そんなかんじ。

もちろん、その他にも、方法はいろいろある、よね。たとえば絵を描くとか、あるいは詩や、小説でストーリィを書くとか。ねぇ。