失われた30年について

日本は失われた30年と言われている。

主な原因は、
新しい技術が社会にうまく実装されて来なかったことにある。

それはまず日本は戦後、モノ作りに成功を納め、
そのことに社会が最適化しているからだ。

既存のモノ作りのシステムが細部まで緻密に行き渡り、
身動きが取れなくなってしまっている。

なので、インターネットやスマホといった
ディスラプションに対応できなかった。

日本にも可能性はあった。

たとえば20年前のライブドアの勢いがそうだし、
金子勇さんのブロックチェーンを応用したWinnyなどが挙げられる。

しかし既存の法律は、新しい動きや技術の前に立法されているので、
行政はうまく対応できない。

いわば、そのグレーゾーンに対し検察が動く。

(現在はどうか知らないけれど少なくとも当時の)検察は
新しい動きや技術体系に対し理解する能力が欠けていたと思う。

僕に言わせれば無理筋で対象者を逮捕していた。

そして、それと結託して
テレビや新聞といったマスコミも自分たちで検証できないまま、
検察からの内部情報(これ自体公務員としてどうなんだろう?)を垂れ流してきた。

つまり日本の失われた30年の問題は、検察とマスコミの関わりが大いに関係があると。

ただし現在は、ライブドア事件当時と比べ(ほんのわずかだけれど)
検察の力は弱くなっているように思える。

一方マスコミは、
いまやマスゴミと言われるほど、YouTubeやSNSに勢いがある。

YouTubeやSNSは偽情報がとても多いけれど、中には良質な情報もあって。
その中に検察についての情報もあり、数十万の閲覧数のYouTubeもある。

従来マスコミしたなかった時代から、YouTubeやSNSも加わった情報空間の拡大が
知らずしらず検察にも影響しているのかも知れない。

さて前述のとおり、新しい動向や技術を妨げるのは検察やマスコミによってなされてきた。

しかし、それは法律の解釈のグレーゾーンがあるからであって、
それに対して立法によって新しい法律を作れば良いという新しい認識が芽生えてきた。

そうすればチャレンジする人は、その法律について理解し、
その点、安心して実業に取り組めるのではないか。