95年が分岐点のような

人生と書くと、なんか重々しい。

ジンセイとカタカナで書いてみると、ちょっとは軽くなる。

で、ジンセイをザックリ半分に分けてみる。前半は安定していて、後半は流動化している。

その分岐点は1995年だと思っている。

その年は、オウム事件が起きて、神戸は大きな事件に見舞われた。

Windows95が発売され、explore(ブラウザー)が無料でバンドルされていた。

パソコンはほとんどWindowsだったので、インターネットの利用が急速に広まっていった。

2001年には、ニューヨークの世界貿易センターに旅客機が突っ込み、2008年にはリーマンショック、2011年には日本で東日本大震災が起きた。

そして現在はコロナ禍、である。

95年以降から四半世紀、ぼくらは違う基軸を求め、さまよっている。

逆に言えば、95年より前の価値基準では、なかなか解決されないだろう。

スティーブン・ピンカーの著作を読み、個人的には、啓蒙主義が有効だと思っているけれど…

じゃ、啓蒙主義って何なんだ、突っ込まないでね。

うまく説明できません。興味があったら、「21世紀の啓蒙」とか「暴力の人類史」を読んでみてね〜