事実はその瞬間にあるだけで、それを再現することは出来ない。

この仮定にたってみると、すぎたことに事実はないかもしれないと思ってしまう。

ましてや、とおい、むかしのことだったり、関係するひとが多い出来事に事実
を求めるのは、ますます不可能だろう。追いかけるほどに、フィクションぽくなってゆく。

にもかかわらず、ぼくも含めて、多くのひとは事実を知りたい「事実バカ」になってしまっている。

記者たちが、話すひとの近くにいっせいにICレコーダーをバッと置く。あるいは記者会見の場で記者たちは、ひたすらパソコンのキーボードを打っている。そんな光景をネットでみるでしょう。あれも「事実バカ」の一例なのだ。

この場合、たしかに、それを本人が言ったことは事実でしょう。でも、なにか、おもわくがあって言っているかもしれないし、立場上、言っているのかもしれない。気まぐれで言ったことも十分ありそうだ。気分や体調がちがえば、同じ人でも、ちがうことを言う。それから….まだまだ、いくつも指摘できてしまう。

ま、かくいう僕も、もっぱら取材をしてきた。でもネ、取材は有効なのかどうか、さいきん、疑いはじめているんだ。ねぇ。