カズオ・イシグロの抑制のきいた緻密な小説は達者だとおもう。

日本でいちばん読まれているのは「日の名残り」ではないか。

第一次世界大戦後のイギリス。主人公のスティーブンソンは、ダーリントン卿に仕える執事だ。当時はまだ貴族の私邸で外交が行われていた。ダーリントン卿は、ベルサイユ条約により過大な賠償金で苦しんでいるドイツの負担を減らすため各国の政治家たちと交渉を重ねていた。そしてしだいに、当時のドイツ政権を担っていたナチスから逆に利用されるようになっていく。

第二次世界大戦終了後、ダーリントン卿はナチスに加担したとされ、イギリス国内から批判される。

しかし、それは、第二次世界大戦後の世間の評価であって、折衝していた当時、ダーリントン卿に仕えていたスティーブンソンの眼からみると、その様相はだいぶ異なっていた。

ま、「日の名残り」をこのように要約してみる。

なにを言いたいのかというと、当事者がかかわっていた過去のことを、現在の雰囲気の中にある第三者的な視点からみて、はたして事実はつかめるかどうかということだ。

とうじのデータを多く集めて組み立ててみても、とうじ、そのものにはならないわけで。ましてや、げんざいの視点から組み立てるということは、とうじからみれば恣意的になってしまうという…なんか、ややこしくなってきましたねぇ。

いずれにせよ、従軍慰安婦からはじまり豊洲問題まで、近年、この種の問いは多いとおもうんだわ。事実はないよね。ストーリィなら作れるけれど。