西欧と東洋の良いとこ取り

ビル・ゲイツの推薦図書をネットで見かけたことがある。

スティーヴン・ピンカーの書籍を愛読しているようだ。

その影響で、ぼくも「暴力の人類史」や「啓蒙の世紀」は読んでいる。

前者は、(第一次・第二次世界大戦を除いて)じつは暴力による死者数は激減しているという内容。

後者は、世界で勢いを増している(ロジックではなく感情が優先される)反知性主義に対し、未来への希望は、やはり啓蒙主義にあるという主張だ。

「啓蒙の世紀」は高価な書籍なので、図書館で借りて読んだ。残念ながら手元には、ない。

なので、記憶を頼りに啓蒙について書いてみようか。

科学というのは体験(実験)を通じて、誰にでも同じ結果を共有し、応用する手法だ。それは数値化されて示されることが多い。反証できることも絶対条件である。

このアプローチは科学だけでなく、時代とともに、社会や人間にも応用されている。啓蒙主義。

ただ、仮に啓蒙主義がすべてだとすると、そこから、すくい取れない領域がないがしろにされてしまう。先に触れた反知性主義の台頭は、このことと無関係ではないだろう。

現在、西田幾多郎の「善の研究」をゆっくり読んでいる。

思惟は、対象を細かくしていくけれど、本書では逆に大元をだどり統一を見ている。統一は意識を示していて、すなわち大元とは(たぶん)意識ということだ。

啓蒙のアプローチとは(たぶん)逆なんだと、おもう。

日本では西田幾多郎や鈴木大拙、それに時代にかかわらず、さらに東洋まで目をやれば、孔子、ダライ・ラマといった啓蒙主義とは違うアプローチがある、とおもう。

反知性主義に、おちいることもなく、東洋の思想に有効性があるのでは、とおもっていて。

一方、東洋的なアイデアだけでは、コロナや環境問題は解決されない。やはり、こちらは啓蒙主義的なアプローチの方が有用だと、おもったりもしている。