統一に向かう視点

小林秀雄のベルクソン論も、西田幾多郎の「善の研究」を難解でお手上げである。

けれども、ページをめくって行くと、所々で、ハマり、オッと思う。

「意識を離れて世界ありという考より見れば、万物は個々独立に存在するものということができるかも知れぬが、意識現象が唯一の実在であるという考より見れば、宇宙万象の根底には唯一の統一力があり、万物は同一の実在の発現したものといわねばならぬ。我々の知識が進歩するに従って益々この同一の理にあることを確信するようになる。今この唯一の実在より如何にして種々の差別的対立を生じるかを述べてみよう。

「実在は一に統一せられていると共に対立を含んでおらねばならぬ。ここに一の実在があれば必ずこれに対する他の実在がある。而してかくこの二つの物が互に相対するには、この二つの物が独立の実在ではなくして、統一せられたものでなくてはならぬ、即ち一の実在の分化発展でなければならぬ。而してこの両者が統一せられて一の実在として現れた時には、更に一の対立が生じなければならぬ。しかしこの時この両者の背後に、また一の統一が働いておらねばならぬ。かくして無限の統一に進むのである。これを逆に一方より考えて見れば、無限なる唯一実在が小より大に、浅より深に、自己を分化発展するのであると考えることができる。かくの如き過程が実在発現の方式であって、宇宙現象はこれに由りて成立し進行するのである」

「かくの如き実在発展の過程は我々の意識現象について明らかにこれを見ることができる。たとえば意志について見ると、意志とは或理想を実現とするので、現在と理想の対立である。しかしこの意志が実行され理想と一致した時、この現在は更に他の理想と対立して新なる意志が出てくる。かくして我々の生きている間は、どこまでも自己を発展し実現してゆくのである」

(「善の研究」ワイド版 第七章 実在の分化発展 p96〜97/西田幾多郎/岩波文庫)

どんどん分かれていく感じとは真逆に、分かれていたものが統一に向かうという発想自体、ユニークだよなぁ。