もやもやしているコトバは、いくつもある。でも、いちいち、そのことばについて考えることはない。

さいきん、いぜんから、つかめないコトバのひとつに、たてつづけに出会った。

ポストモダン、である。

ひとつ目の出会いの糸口は「バケモノの子」(監督:細田守)から。

「バケモノの子」は、かねてより、みようみようと、おもっていた映画だった。その中ではハーマン・メルヴィルの「白鯨」が、ひとつのキーワードになっている。

そのあと1年前に購入しておいた「バケモノの子」を特集した雑誌を引っぱり出したてみた。その中に「白鯨」の解説が書いてあり、さらにポストモダンの説明がある。引用させていただきます。

ポストモダンというのは、簡単に言うと「絶対に正しいものなんてない」という考え方です。それを体現しているのが語り手であるイシュメールで、彼がとにかく強調しているのは、鯨というのは全体像をとらえることができないくらい複雑なものであるということ。そしてそれは鯨に限ったことではなくて、世界というものは不可知なものだと言っているわけですね

科学的に考えれば世界はこうだと決められるという十九世紀的な考え方からいち早く抜けて、世界は最終的には見る人によって決まるという二十世紀型な考え方に至っている。そういう意味では、世界の不可知性をめぐる小説だと言えると思います。(柴田元幸の『白鯨』講義/『SWITCH』 2015・7月号)

で、ふたつ目に出会った、ポストモダンというコトバ。

もはや二十一世紀は、国家が干戈を交える形式だけを戦争と考えられない歴史に入ったのである。”脱領土”あるいは”脱領土”的に暴力とテロの延長としておこなわれる「戦争」や、これまで戦争とは表現しがたかった「戦争」をいまや観察しているのだ。(中略)ポストモダン型戦争は、国家間戦争というプレモダンからモダンに至るまで共通していた戦争のイメージと内容を大きく書き換えているのだ(『中東複合危機から第三次世界大戦へ』(山内昌之/PHP新書)