原文は読めた方が良いだろう。ただ、それだけの語学力がないから無理である。そう思うのは、合っているようで、すべて合っているというわけでもない。時間をかければ意外に読めるものである。だが残念ながら、読了するまで、忍耐が求められるし、ものすごい時間が必要になる。

そういうふうに思うと、知らず知らずのうちに、当たり前だとおもっている翻訳は、ありがたいものである。翻訳されていなければ、読めなかった本はたくさんあるし、そのおかげで出会った本や作者も少なくない。

ただ、その一方で、どうだろう。翻訳に対するこだわりも捨てきれない。どこか腹の底で「ちゃんと翻訳されているのだろうか」という感じがあるし、翻訳者の解釈や文体も気になってしまう。

それに対し、個人的には、こういう感想を持っている。

まずは、好きな翻訳者の本を読む。その人が翻訳しているから読むということもある。例をあげれば、柴田元幸や村上春樹が、そうである。(そんなことは、ないとおもうけれど)間違っていても、好きだからいいや、という感じだ。

一冊の本に対して、複数の翻訳が出版されていることがある。

その場合は、図書館から何冊か借りてページをめくってみて、自分にあったものを選ぶようにしている。おなじ箇所を抜き出して比較してみる場合もある。ま、さすがに、いつも、そうしているわけではないけれど。たとえば、近松門左衛門の「好色一代男」は吉行淳之介訳を選んだし、メルヴィルの「白鯨」は八木敏夫(岩波文庫)を選んだ。