「万引家族」をみて。

「万引家族」をみた。自然な会話をする演出があざといところもあった。しかし見終えたあと、みてよかったとおもった。好きになってしまった。

とりわけ樹木希林さんの死を前にした海辺のシーンは、すごく印象的だった。うまいコトバが見つからないけれど、どう言ったらいいんだろう…?

日本には堂々としている人がいたような気がする。ここでいう「堂々」とは一般的なニュアンスとはちがう。やはり、うまいコトバが見つけられない。

去年、西田幾多郎の「善の研究」を読んだ。難解な書籍とされている。たしかに、そうなんだけれど、じぶんなりに解釈できた部分もある。パッとおもったことは、とてもシンプルだけれど、時間の経過にともない、それは複雑になり、とらえることが出来なくなってしまうこと。

ここからは、じぶんの意見=>それに対して、ぼくらはコトバや数式、プログラミングといった抽象的な方法で表現しようとする(ともすると抽象化は分かりにくいニュアンスでとらえてしまうけれど、じつは理解しようとする方法だったりする)。

スティーブン・ピンカーのいうとおり、理性には可能性と期待がある。けれど理性も対象を抽象化していることに他ならない(コトバも数字もプログラミングもその方法だとおもう)。

ハナシがかなり大袈裟になってきたけれど、海辺の樹木希林さんは、やはりコトバにできない。あえて言ってしまえば、そのシーンの映像がすべてというかんじだろうか。

気づいたことを、お気軽に。
公開まで、やや時間がかかりまーす!