同じことばでも、人それぞれにイデオロギーがあるので、ちがう解釈をする

正確ではないけれど、さいきん読んだ本のなかに、そんな一文を見つけた。

本書でもエクスキューズしているとおり、やや大げさな言い方ではある。

でも、この一文は僕をほっとさせ、これだけで、もうけものだった。

要は、ことばは辞書のように意味が決まっていると思いがちだけれど、じつは同じことばでも、ひとそれぞれ違う言い方や解釈をしているわけネ。

だから、ことばの行きちがいなど、フツーのことなのだ。「なんで伝わらないんだろう」って、そもそも、ことばは、そういうものである。

敷衍してみると、本を一冊読んだり、それから映画を1本みても、内容がわからないのは、ぜーんぜん、ふつうである。作者には作者なりのことばの党派性があり、受け手には受け手の党派性がある。

英語でも中国でなど外国語が堪能でも、じつは正確な内容など分かりやしない。不得意なら、なおさらだ。どうぜ、分からないのなら「根性英語」や「根性中国語」でも良いだろうと、わりとマジメに思っている。

こんげつ、グーグルのカンファレンスで、GoogleAssistantのデモをやっていた。すくなくとも英語圏内では、ディープラーニングにより、より人間にちがい会話をするようになるそうだ。ことばは、ひとそれぞれ感覚がちはうので、それに合わせるのは、ムリだとおもうんだよねぇ…でも、できるのか?