ためしに図書館の本棚を見てみたまえ。
たとえばコンピュータのコーナーにある書籍は過ぎ去ったもので、ほとんど有用ではないことに気づくでしょう。
広告や販売促進のコーナーも同様だ。もともと深さ広さのある(広告の領域に収まりきれない)土屋耕一さんや糸井さんの書籍くらいじゃないかしらん、例外は。
「広告批評」の実績かなぁ。江戸時代までさかのぼり、広告ブームのころの広告と、平賀源内や山京東伝の広告をひもずけて考察する視点があった。
こちらを「南朝」の広告なんて言っていたっけ。
一方の「北朝」の広告は、戦後、アメリカから輸入されてきたアイデア、たとえばマーケティングなどを指していた。
たぶんだけれど…「広告批評」の天野さんは、前者の「南朝」的な広告の系譜を支持していたんだろうと思う。
現在は、後者の「北朝」系が勢いづいていると思う。それもグーグルやフェイスブックといったITやAIを取り入れた広告や販売促進である。
これは、おそらく、広告の売上にも出ていると思う。かつてなら、やれ電通、博報堂なんて言っていたでしょう。
客先に夜討ち朝駆けで営業する方法は、いまや社員へのパワハラ(強要)と叫ばれていたりする。
そりゃ、そうだよネ。
グーグルやフェイスブックの広告取りは、ウェッブから申し込まれ、最適化はAIにより自動化されているんだから。「秒処理」でしょう。
かつての広告が相対化されただけならまだ良かったのだが、効率がケタちがいだ。
といっても、「南朝」系の広告だって良いだろう、というか、個人的には愛着さえある。ただし、それにこだわっていたら、生活が成り立たなくなってしまう。趣味的なものになっていくだろうね。ま、その中から後世に価値が出ないとも限らないかねぇ。(江戸当時は広告だった)浮世絵とか。