アルゴリズムとAIの話を聞いていて、その縁(ふち)に触れたような気がした。がしかし、理解できない。そういう感触って、あるんじゃない..?
そういうときは、自分に引き寄せて解釈したりして、まぁ、一般的には、それを曲解というのかも知れないねぇ。
まず、アルゴリズムについて、例を出してみようか。
9以上の数字、たとえば、7たす8は、10でひとケタ繰り上がって、一方の1ケタは5となる。だから答えは15となる。
あるいは、時計は60分になると(長針が1周すると)、1時間(短針が1)となる。
ちなみに身内のチビは、なかなか、これが理解できなかったらしい。そりゃ、そうだよね、小学生で、これ、むつかしいもん。オレ、同情する、
というのは、さておき、10進法の足し算も、時計の見方も、誰がやっても同じことになる。
聞いたお話では、プログラミングの連想配列を例にアルゴリズムを説明されていたけれど、すみません、じつは、それ自体、わかりませんでした〜。
なので、ここでは、その変わりに、自分で理解できる足し算や時計のアルゴリズムに、ムリヤリ連結しちゃいます〜
というわけで、たぶん、足し算も、時計も、そして連想配列も、かたよりないもので、誰がやっても同じ結果が出るものに対しては、とても有用なんだと思う。
で、一方のAIだけれど…
AIは、かたよりがあるものに対してこそ有用である、と言ってみたい。
一人ひとりには、クセがある。
数学的なアルゴリズムは、そのような、一人ひとり違うものを相手にしていては、とても効率が悪い。
というか、そもそも、そういうことを取り入れることさえ、思ってもいないんだネ。
でもAIはちがう。
かたよった、そのひとのデータが集積されれば、そこから、その人なりの最適解が導き出されるわけ。
そもそもだね〜
りんご1個+りんご1個は、2個とは限らないでしょう。りんご好きが食べたなら「あー、おいしかった」となるじゃないの。
楽しいときは時間は短いし、つまらないときは時間は長く感じるじゃない?
まだ言い方が、こなれていないけれど、わりと本質をついていると思うよ〜