デフレ批判は、国会議員、マスコミ、エコノミストから多く寄せられた。デフレが経済の低成長と同義語のように語られた。そして僕たちは専門的・技術的な視座より、むしろ情緒的な、、目の前の生活の不安にあおられた。
平常時なら不適当かも知れない大胆な金融緩和(リフレ派の主張)を抵抗もなく受け入れたのは、僕たちの無知・無関心のせいかもしれないし、あるいは、その得体の知れない、潜在的な、切迫した恐怖感と関係あるのかもしれない。
デフレの原因を貨幣的現象としない説だって、ある。
ひとつは、人口動態だ。
急激な高齢化と少子化は生産年齢人口の減少となる。
ある調査期間によると、2022年には、生産人口に対する65歳以上の高齢者の比率は約50%になる。要は、働く人2人で高齢者1人を支えることになる。
シビアな状況の中にあって、それでも踏み出すには、1人あたりの生産性をあげたり、労働人口を増やさなければならない。あとはAIやロボットの積極的採用とか。
政府は昨年は「働き方改革」を、現在は海外からの働く人の受け入れを提案している。前者は生産性を上げる、後者は労働人口を増やすアプローチだ。
政府はみずからの間違いを言わないでしょう。疑りぶかい僕は、アベノミクスの第1の矢である金融の量的緩和策の失敗から、しらっと人口動態へのアプローチに主旨を変えたと思ったりもしている。
人口動態の変化に加え、もうひとつのデフレの要因は交易条件の悪化だ。
交易条件とは、自国の生産1単位で海外の生産物がどれくらい変えるか示すものだ。輸出価格/輸入価格なので、分子の、輸出価格が減少すれば、交易条件は悪くなる。日本は韓国や中国の企業の追い上げにより、競争力が低下し価格を下げざるを得なくなっている。iPhoneのようなブランドに支えられた製品を排出することができていない。
分母の、輸入価格が上がっても交易条件は悪化する。原油価格が高騰すれば、輸出価格に低下とあいまって、ふたたにデフレにおちいる可能性は十分あると思う。