ビル・ゲイツは、本をたくさん読むそうである。
ネット上で、ゲイツのおすすめの図書という情報に出遭うことがある。
2冊ほど読んだことがある。
「コンテナ物語」では、規格の同一のコンテナを列車からそのまま船で輸送する、物流の革命を知った。
スティーブン・ピンカーの「暴力の人類史」では、世紀単位の長いスパンで見た場合、暴力による死者数は、むしろ減少していることを知った。
ちなみに「暴力の人類史」は高価な書籍だ。なので図書館からお借りして読んだ。手元に本書がないため、以下、記憶と僕の主観により書きつらねてゆくことになる。
普遍的なことも、普遍的でなかったりする。
たとえば民主主義は、所与のものと思いがちだ。
けれど、少しでも歴史の本を読めば、民主主義はわりと新しいものであることに気づく。
なにも歴史をたどらなくとも、現に民主主義ではない国は存在するし、民主主義を旗印にしている国も、そうでなくなる可能性もある。
要は、民主主義は、確固たりえるものではなく、ひとつの理念なわけネ。
あやふやな理念なんだけれど、それを言いつづける人たちがいて、少しづつでも政策にも反映して、民主主義というカタチになってきたんだと思う。
公民権やフェミニズムも同様だ。
「暴力の人類史」では、民主主義やフェミニズムといった理念がかかげられ、それが育っていったことにより、暴力による死者数が減少していったと、まぁ、そのようなことが書いてあったと思う。
理念を持ち続けることは、なにげに大切なのかも知れない。ただ、それは現実とは相反することが多々ある。なので両方、大切だということになりそうだけれど、ねぇ。
ところで、相反する言葉として、「論語と算盤」という言葉を目にしたことがある。
たぶん、これは渋沢栄一の「論語講義」の中の一節を、誰かがキャッチフレーズにしたんだろう。
ダライ・ラマは現実レベルのことを「粗いレベル」としている、かな。
もっとも、ここまで来ると、現実と理念を相対化するのではなく、真理として語られているんだろうかもです。