AIの先生は誰だろう。
少なくともグーグルにおいては、先生は、ユーザーということになりそうだ。
グーグルアシスタント、つまり「オッケー、グーグル」により、グーグルはデータを収集しているけれど、逆にいえば、これは世界中のユーザーがグーグルアシスタントに、言葉や文脈を教えさせられていることになる。
グーグルフォトの機能として、さいきんiPhoneでも、グーグルLensを利用できるようになった。これにより写真から、そこに写っている対象物の名前が分かるようになった。ようやくディープラーニングが、身近に実感できるようになった。こちらも、グーグルがデータを集めている反面、写真を提供する世界中のユーザーが、しらずしらず先生役をやらされていたりする。
こういうこともあり、グーグルがAIに力を入れはじめたのは、音声、視覚ということで、わりと最近かな、と思いがちだけれど、
じつは、検索エンジンでは、すでに同様のことをやってきたと思うわけ。
ユーザーが検索するたびに、グーグルの検索エンジンは、かしこくなってゆく、みたいな。
ぼくは「Wired」という雑誌のファンである。
創刊者のケヴィン・ケリーは自著の中で、次のような話を紹介している。
「ラリー(ラリー・ペイジ/グーグルの創始者)、いまだによく分からないんだ。検索サービスの会社は山ほどあるよね。無料のウェッブ検索サービスだって? どうしてそんな気になったんだい?」
(中略)
「僕らが作っているのはAIなんだよ」
これは2002年のパーティでの会話、当初からAIを作っていたという逸話。
「<インターネット>の次に来るもの」(ケヴィン・ケリー/ 服部 桂訳)より