ネット社会は、ちがうパラダイムだ。
このさい、学校にたとえてみようか。
学校で目立つには、どうしたら、よいだろう。
勉強ができてもよい。スポーツができてもよい。人気があってもよい。不良だってよい。
逆に、特徴がないと、目立たないままかもしれない。
もちろん、ひとは存在じたいが存在だ。なにも目立つこともないでしょう。ただ、損得という価値でみると、ネット社会では目立つ方が、おいしいかもです。
学校をたとえに、もうひとつ言えそうなこと。
従来の勉強には、すでに解答がある。その解答にむかって、みんなが勉強している。これって、言い方をかえれば、みんな同じ方にむかって頑張っていて、しかも、より同じになった生徒が優秀ということに、なっていたりする。
個性個性といいながら、一方では、同化することを求めている。これは、あきらかに矛盾している。
ちなみに、みんなが同じことをやれるようになる、ということは(ちょっと、おおげさに言うと)工業化社会に適応する人材を作るには適していた。同じ部品を作るみたいな。
ネット社会は、言ってみれば、これと真逆なのにねぇ。