ずいぶん前になるなぁ。
月に1回、東芝の販売チャネルの情報誌を書いていたことがある。
ほんとうに苦戦し、なかなか書けなかった。
ふと思ったけれど、それは考えるさいの足腰がフラフラしていたからだったかも知れない。
とは言え、じぶんなりの考えの足腰が鍛えられているひとは少ない。すくなくとも、この販売チャネルの情報誌のばあい、マーケティングの下地が必要だったとおもう(それが、なかったので苦戦したのかも)。
プロの棋士は対戦を終えたあと、感想戦をやる。その際に、対戦相手と将棋の手筋を再現する。プロの棋士が数人相手に、しかも瞬時に駒を動かす映像をみたことがある。両方とも「なぜ、そんなことができるんだろう」とおもってしまう。けれど、これはプロというのは定石を覚えているから、できるのかもしれない。一方で、対局のさいの数時間の長考は、いままで出会ったことない局面だからかもしれない。
悩むということは「いままでに出会ったことがないのに考えてしまう」ことではないだろうか。
そして、ほとんどのそれは妄想である。
妄想といったのは、できっこないのに考えているという意味ネ。
それよりも、いまできることを着実にやっていく。これがカンタンそうで(俺も含めて)いがいに、やっていないのかもしれないだよね。