ぼくたちは、あやふやで、じつは自分自身で「良い」「悪い」の判断ができない。
暮らしている中で、あるいは親の世代から、空気のように意識することなく「良い」「悪い」が、なんとなくあるあるという、ま、そんなかんじ。
でも、その理由はわからないけれど、ずっとあった「良い」「悪い」が、こころものなくなっていく時期もあるみたいね。
そうなると、声の大きい人が現れ、そこに人が集まってきたりして。
そして、
こちらの方が「良い」、いや、あちらの方が「良い」というふうに党派性をおびてきたりする。
歴史はあまりくわしくないけれど、日本でも、偏った党派性が極端な方向に走ったことがあるみたい。
ま、個人的には、党派性より「仮説を立て、反証もあり」の方が、好みだったりする。
ただし「仮説を立て、反証もあり」に偏ることにも問題あり、ともおもっている。それについては、あした書く(かもしれない)。