なんとなく、ひとの手際は同じだとおもっていた。
けれど、あることに付き合い、そうでないことに実感した。
ひとの手際というのは、ひとりひとり違うのようだ。
そして長年やっているひとは、やはり手際が良い(上達しないようなら、途中でやめてしまうことだって、あるだろう)。
そうおもうと、ひとりのひとが、そのことだけを毎日繰り返し、何年も、何十年も続ける、場合によっては、息子や社員に引き継いていく、いわゆる熟練というのは、たいしたものだとおもう。
一方で、熟練の動きのセンサーでフォローし、そのデータにより特徴量を見つければ同様のことができてしまうという説もある。たしかに、ディープラーニングといった機械学習のここ数年の前進は著しいけれど、でも肝心の手に当たる部分の開発が難しいとも言われている。
ここで問題にしたいのがブランドと熟練についてだ。
熟練により、その商品が長く使えることと、ブランドは関係あるでしょう。
では、そのさいに、データにより、人の手を使わずに機械で作った同じ商品は、ユーザーにとって、同様のブランド感はあるのだろうか。
けっこう深い問題だよね。